多くの専門家は「難しいことに価値がある」と思っているのではないか
こんにちは。遠藤です。4819回目のブログです。
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さて、FBL大学でともに学ぶ同志のブログに以下の図がありました。
この原型はおそらく講座内で私が用いたものです。
右側の「基本的」と「専門的」はその方が付け加えたのだと思いますが、的確な表現です。
※もしかすると私が書いたかも(元の図を確認していない・・)。
これは多くの専門家が「基本的なこと」をすっ飛ばして「難しいこと」「細かいこと」を偉そうに教えているという図です。
上の「大きな赤丸」が大事なのに、下の「小さな赤丸」を指導していると考えてもらえばOKです。
それを見ながら思いついたのが下の図です。
さらに左側に付け足しました。
専門的なことの大半は一般の方々にとってほとんど役に立ちません。
が、多くの専門家は「難しいことに価値がある」と思っているように見えます。
はたしてそうでしょうか。
私は一般の方々の「ほぼ全員」に必要なのは学校教育でいうところの「義務教育」だと思っています。
※治療目的等の方は異なる。
国語、算数、理科、社会・・。
心身管理に置き換えるなら運動、栄養、休養、笑い。
この項目の「基本的なことだけ」を「幅広く」伝えていけば、たいていの人の身体はより良くなっていきます。
例えばですが、小学校の先生に東大教授のような知識は必要ないですよね。
つまり「誰に何を教えるか」によって、指導者にとって必要な知識は規定されてくるのです。
なのに多くの専門家は小学生に東大の教科書を教えたいのか、まったく役に立たないことを学んでは小難しいことを顧客に伝えています。
これは「自己満足」です。
それでも「先生、凄いですね」となります。
相手は「情報弱者」なのですから。
「知識格差」をひけらかせばひけらけせるほど信者化します。
「先生ビジネス」はこういう主従関係が目立ちます。
そもそも職業的な先生でもないのに自分のことを「先生」なんて言わせている時点で「偉そう過ぎる」でしょう。
さらにヒドいのは以下の図です。
「掘り下げ(専門知識)」のように見せかけて「偏り(緑の矢印)」のほうに誘導しているパターンです。
「専門知識の堀下げ」はまだいいんです。
何故なら「(一般の方々には)ほとんど役に立たないけど学問的には正しいから」です。
が、「偏り」は違います。
「疑似科学」です。
「〇〇は身体に悪い」系はほぼずべてがこれです。
「難しいこと」に価値があるのではありません。
「基本的なこと」、つまり「中庸」がもっとも普遍的であり、もっとも価値があるのです。