№5377:「真面目」と「素直」は近いようで全然違う
こんにちは。遠藤です。
※過去分(4740回分)はこちらにあります。
さて、昨日は「真面目って良いことなのか」というnoteを書きましたが、約1年前にも同じようなことを書いていました。
ウケる(笑)
ここでは「もっと不真面目を広めよう!」と書いております。
昨日も昨年も言っているのは「真面目=それしか見えていない=視野が狭い」ということです。
例えば、トレーナーとかインストラクターの中には「白米は身体に悪い。玄米は身体にいい」と信じて疑わない人がいます。
が、こんなのは究極的に視野が狭いだけです。
「米がない国」に行けば、そんな議論自体が不毛だからです。
例えば、(近隣なら)アジアのカオスな国へ行けば、自分たちが如何に狭い視野の中で、どれだけバカバカしいことにこだわっているかがよくわかると思います。
こう言うと「日本で暮らしているから言っているんだ」と反論されるに決まっていますが、ならば「視野を広げればこういう考え方もありますよ。1つのことに対して正しいとか正しくないとか固執しないでくださいね。それこそが身体に悪いですからね」と言えばいい。
が、こんなことを言うはずがありません。
そういう人は「人間そのものが偏っている」からです。
だから「真面目と評される(誤魔化される)人間にはならない方がいいよ」とアドバイスするわけですが、この時、「真面目」と「素直」は近いようで全然違います。
むしろ「真面目な人」は「素直さに欠ける」と感じます。
では「素直さ」とは何か。
このことはかつて有料メルマガにも書いたことがありますが、「素直な心になるために(松下幸之助(著))」からの引用で「融通無碍」ということだと思います。
同書の通りに書くと「素直な心というものは自由自在に見方、考え方を変え、よりよく対処していくことのできる融通無碍の働きの心である」となります。
私は「単に自分に都合のよい見方、考え方をするのではなく、より望ましい、より正しい見方、考え方を求めて変化に応じていくこと」と解釈しています。
何よりも「素直さがないこと」は弊害が大きいです。
この弊害については来週あたりに整理して記してみようかと思います。
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