№5376:「真面目」って良いことなのか?
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こんにちは。遠藤です。
※過去分(4740回分)はこちらにあります。
さて、一般的に考えて世の中の価値観では「真面目」は良いこととされています。
子どもの頃から「○○ちゃんは真面目で良い子ね~」なんていわれて。
これは本当にそうなのでしょうか。
特に大人は。
私には「真面目」と評される人ほど、苦しんだり、悩んだり、行き詰まったりしているように見えます。
「真面目」の意味を辞書で調べると「本気であること、嘘や冗談でないこと
誠実なこと」などとなります。
が、ここでいう意味は違って「物事を考えすぎること」「物事をネガティブに考えること」などです。
私はかつてFBL大学で「真面目って必要か?」という講座をやったくらいなので、この言葉には「ネガティブな要素をうまく誤魔化している」という真意が隠されていると思います。
要は心の底では「融通が利かない人」とか「幅がない人」と思われている。
または「従属している」とか「自分の頭で考えることができない」と思われている。
が、そのままのことは言いづらい。
ということで、こういう人たちをひっくるめて「真面目ですね」と言っているのだと思います。
実際、他の人が羨むような能力を有す人は「真面目な人」などとは言われません。
もっと具体的な言葉や表現で賞賛されます。
つまり、何かしらのネガティブな要素を打ち消すために「あの人は真面目だから」と評されているということです。
「真面目な人」は1つのことを一生懸命やるという印象があります。
しかし、それは裏を返せば「選択肢が少ないだけ」です。
真面目に1つのことしかやらないからそれしか見えないし、それが正しいと思い込みたくなるのです。
故に「そんなのはどっちでも同じだよ」ということについて「あーでもない、こーでもない」と「自己混乱(自己満足?)」を繰り返しています。
私は「選択肢が少ないこと」の行く末は「孤独」や「孤立」だと思っています。
そんな「真面目」は不要。
必要なのは「経験を増やし、視野を徹底的に広げること」です。
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