№5352:「知識は徳性の一部でしかない」
こんにちは。遠藤です。
※過去分(4740回分)はこちらにあります。
さて、本日はFBL大学の第1週目講座を配信しています。
(コースにより一部異なりますが)、その中で「知識は徳性の一部でしかない」という話をしています。
私たちは人間です。
人間にとってもっとも必要不可欠な素養は「徳性」だと思います。
しかし、一部の専門家や、その一部の専門家を支持する信者たちは「知識があることが凄い」と思ってしまいます。
が、「知識」というのはその人の「徳性」を通じて発揮されるから価値を有すものです。
「徳性」というのは「五常の徳(仁義礼智信)」に代表される、その人の「人間性」です。
したがって「徳に欠ける人=周囲との人間関係を円滑に気づけない人」に、どれだけ「知識」があったとしても、それはどこか欠けたものだったり、偏ったものだったりします。
「知識」があることを「知力」といったりします。
何事においても、この「○○力」というものが「徳性の欠落」を無視可能にしてしまいます。
「○○力」には「知力」の他にも「権力」とか「金力」とか、昨今の情勢なら「武力」というものがあります。
これらが「徳性」を通じて発揮されなければ「とんでもないことになる」ということに説明は要らないでしょう
「知力」だって同じようなものなのです。
「徳性」に欠ける自称専門家が「エセ知力」を用いれば、それは間違った方向で発揮される可能性が高くなります。
その代表が「あれは身体に悪い、これも身体に悪い」とか言っている自称専門家です。
彼等彼女等の思考が偏っていることは明らかであり、その人たちを見れば顧客が信者化していたり、人間関係も狭く偏っているのがその証拠です。
このタイプの見極めはその人のプライベートを見ればわかります。
例外なく、家庭を壊したり、周囲との人間関係を崩壊させたりしています。
この時、「知力」は「武力」等と違ってネガティブなイメージがなく、かつ「物知り」のような印象を与えるから、余計に厄介なのです。
このことに気づかないと「疑似専門家」の「疑似知力」に翻弄されることになりますから注意が必要です。
かの松下幸之助氏は「(こういった力は)それなりに有効に活用されるべきではあろうが、何といっても根本的に大事なのは徳をもって、いわゆる心服させるということだ」と述べています。
まったくその通りだと思います。
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