№5358:社会人としての最悪の評価は「難しい人」と思われることである
こんにちは。遠藤です。
※過去分(4740回分)はこちらにあります。
さて、プロレスラー系のYouTube(2名の対談)を観ていたら「次、誰をゲストに呼ぶか」という話から「Aレスラー」や「Bレスラー」の名前が出て(実名)、二人揃って「あいつら面倒くさいからな~」「あいつら難しいんですよ」と口にしていました。
で、コメント欄を見たら「社会人として最悪の評価とは『難しい人』である」と面白おかしく書いてあり、思わず笑ってしまいました。
これって本当にその通りだと思います。
「面倒くさい奴」
「難しい奴」
こう思われたら終わりです。
理由は単純で相手が離れていくからです。
「面倒な奴」や「難しい奴」に協力したい人などいません。
こういう人は時間軸の中で孤立していきます。
こうなってしまうと必然的に「こうなったのは相手が悪い」「世の中が悪い」「自分は悪くない」と考えるようになります。
自分に賛同してくれる人がいないから、自分で自分を肯定するしかなくなるのです。
が、「自分は正しい」なんていうのは関係ないんですよ。
人間社会での生活は「相手にどう思われているか」がすべてです。
こういうと「相手に気に入られるように振る舞えということか」「相手の目を気にして生きろということか」という反応的な反論をされます。
それはまったく違います。
大事なポイントは「『自分が見られたいイメージ』と『相手にどう思われているか』が一致している」ということです。
自分では「私は明るい!」と思っていても、まわりから「あの人は暗い」と思われていたら、その人は「暗い」のです。
私はこのことをFBL大学で100回くらい言っていると思います。
なので、自分が「面倒くさい奴」とか「難しい奴」と思われたいのなら、まったく問題ありません。
が、そんな人はほとんどいないはずです。
自分では「正しいことを言っている」「正しいことを言う人だと思われたい」と思っているのに、相手からは「面倒くさいことを言っている」と思われているのですから、このギャップは致命的です。
人間社会で生きていく以上、もっとも大切なのは「人間関係を円滑に維持向上させていく能力」です。
それなくして「ビジネス力」や「専門力」を学んでも「まったく意味を成さない」と思います。
明日もこの続きを書きます。
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