「やるべきことは『徳』を磨くこと」という話
こんにちは。遠藤です。4771回目のブログです。
※過去ブログ(4740日分)はこちらにあります。
今日は「やるべきことは『徳』を磨くこと」という話をします。
昨日は「中庸」について書きました。
が、多くの人にとっては面白くもなんともない話だと思います。
だって売上が上がるわけではありませんから。
「1週間で云百万円が売り上がるZoom集客法」的な話を聞いた方がずーっと楽しいことと思います。
が、本当にそれでいいのでしょうか。
世の中のオンライン化が進むことによって人と人との対面の機会は減っていくことになります。
もちろんそれにより無駄が排除されていくのは良いことです。
通勤、長い会議、なかなか帰れない雰囲気。
これらはすべて無駄です。
オンライン化(テレワーク等)によって通勤がなくなり、会議の時間が短くなり、はたまた打ち合わせの場所に行く必要がなくなり、(自宅で仕事をすることで)「なかなか帰れない問題」も発生しない。
私は世の中がこうなる前から「自宅ワーク」をしており、その快適さを知っているので、多くの人が無駄な拘束から解放されたことを好ましく思っています。
が、この傾向は人間性とか人間力が軽視される方向に動きます。
何故ならビジネスがオンライン化すればするほど「売れるノウハウ」とか「稼げるノウハウ」といった「オンライン上のテクニック」が重宝されるようになるからです。
そこに人間性など関係ありません。
望んだものが手に入ればそれでよいという考え方になっていきます。
「論語」の中に「人にして仁ならずんば、礼を如何にせん。人にして仁ならずんば、楽を如何にせん」という章句があり、FBL大学の講座でも紹介しています。
「徳育のない知育」は意味がない。
「徳育のない体育」は意味がない。
という意味です。
私は講座の中で「ネット社会、当業界のためにある章句だ」と言っています。
「知育」を「ビジネス」に置き換えるなら「徳のないビジネスに意味はない」となります。
「体育」を「健康」に置き換えるなら「徳のない健康に意味はない」となります。
これは「運動(トレーニング)」も同じです。
「徳のないトレーニングに意味はない」となります。
ちなみに「意味がない=文化が廃れる」という意味です、
今の世の中はそうなっていませんかね?
とはいえ、世の中のオンライン化は不可避です。
私はそこでリアルにこだわっているようなレガシー(遺物)にはなりたくありません。
やるべきことは「徳を磨くこと」。
で、世の中のオンライン化に最前線で対応すること。
この両輪が不可欠。
やるべきことが満載でございます。