見出し画像

№5360:「忙しいから学べない」のではなく「学ばないから忙しい」

こんにちは。遠藤です。
※過去分(4740回分)はこちらにあります。

さて、土曜日は(基本的に)いただいた質問にお答えしています。

【今週のご質問】
「『学びの時間』が必要なことは理解しているのですが、どうしても日常に忙殺されてしまい『学びの時間』を確保することができません。視聴すべき動画コンテンツ等も先送りになってしまいます」

【私の考え方】
残念ながら、このような意識でいるうちは成長できないので、そのまま日常に忙殺され続けるのがよいと思います。

そのうちどこかで「このままではいけない」と気づくと思います。

そうなったら勝手に変わります。

とはいえ、どこまで行っても今のままかもしれません。

統計上も社会人の約85%くらいは「自助努力をしない人たち」ですので、このまま忙殺され続ける可能性の方が大であるともいえます。

「学びが必要なことは理解しているが、時間が確保できない」と言われていますが、その認識は間違っています。

「学びの必要性を理解していないから時間がなくなる」のです。

「忙しいから学べない」のではなく「学ばないから忙しい」ということです。

別の観点では「時間を理解していないこと」が原因として挙げられます。

例えばですが、先般「月間6時間の新たな学びが必要になった人」がいました。

私は「その時間は確保できますか?」と問うたのですが、回答は「月間6時間ということは・・えーと、1日12分ですよね。余裕です」でした。
※360分÷30日=12分

当たり前ですが「1日12分、新たな学びをする」のではありません。

「自分には十分な時間がある」ということを論理的に理解したのです。

それを聞いて「この人は大丈夫だな」と確信しました。

「時間をコントロールできる人」は、このように時間を具体化、細分化することができます。

一方で「時間に忙殺される人」は時間をボワッと捉えます。

雨雲のように大きな塊として押し寄せてくるものと捉えてしまうのです。

その結果、60分かかることが90分かかかる、90分かかることが120分かかるといった具合に時間に押し込まれてしまいます。

1日は24時間しかありませんから、こうなったら時間は不足していく一方です。

これは時間の中で迷子のなっているようなものですから「1日12分」ですら流れていくことになります。

私は「どんなに最低でも1ヶ月に5~6冊の読書は必須である」と言っていますが、これだって時間を細分化すればできないわけがありません。

公式にすると以下のようなります。

そもそも本気で学ぼうとしていない×時間の使い方を知らない=学ばない(「学ぶ時間がない」と思い込んでいる)

「できない」「やれない」ではなく「どうしたらできるかを考えていない」し「やろうとしていない」。

そういうことだと思います。

▼FBL大学のホームページはこちら
▼無料メルマガ「継続するコミュニティビジネスの考え方」のご登録はこちら
▼有料メルマガ「思考変容のスイッチ」のご登録はこちら

いいなと思ったら応援しよう!