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№6313:「自分の人生」と「独自の人生」はまったく違う

こんにちは。遠藤です。本年もよろしくお願いいたします。

さて、これまでも幾度か紹介してきましたが、かの安岡正篤氏は「自分=独自+部分」として、個人の特性や個性を大切にしつつも(独自)、チームや社会の一員として役割を果たすこと(部分)の重要性を示しています。この考え方は、現代社会において個人主義が進む中で、自分の人生を主体的に生きることと、他者とのつながりや社会的役割を両立させることの重要性を示しています。

私は2013年にFBL大学を立ち上げた時から「自分の人生を生きよう!」というメッセージを送り続けてきました。しかし、その中心的価値は「独自」の側面が強かったと思います。例えば「3つの自由の追求」として、「経済的自由」「時間的自由」「精神的自由」を手に入れることが大切だと言ってきましたが、それは個人主義的な観点から発信していたと回想します。

その一方で、2016年くらいから「人生において最も重要なのは他者との関係性である」と言うようになりました。そもそも「自分」なんていうものは存在してしない。「すべては他者との関係性の中で規定される」ということに気づいたからです。例えば、自分がどれだけ「正しい」と言ってみたところで、まわりから「正しくない」と判断されれば、その人は正しくないのです。このことがわからない人は、いつになっても「自分の正しさ」を主張し、まわりとの関係性を悪化させ「小さな我欲集団」を形成しています。

この「社会や他者とのつながりを重視する姿勢」こそが「部分」です。組織やチームに所属していることが「部分」なのではありません。「たしかな信頼でつながっている」という事実が「部分」です。「独自と部分」の間には「調和」があります。すなわち「真善美」の「美」です。調和を乱す人には「美しさ」がありません。このような考察からも「自分の人生を生きる」ということは、社会やまわりの人との調和であってこそであることがわかります。「自分の人生」と「独自の人生」はまったく違うということです。

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