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[小説 祭りのあと(14)]一月のこと~フラミンゴのじいさん(その2)~

 生憎の雨模様。駐車場の軽自動車の中で、僕はかおるが到着するのを待っていた。
 日曜日はアルバイトも用事も何もないと言っていたが、さすがに朝の七時は早かったか。
 八木青果店の角から水色の傘が見えてきた。何とも言えない格好で、かおるが現れた。
 「何ですかその出で立ちは」
 「え?この寒さにこの雨が凌げれば、何でもいいかなと思って」
 「別にデートじゃないしええんじゃけど。色気も何もないねぇ、相変わらず」
 喫茶店での質素ながらも清楚な姿とは大違いだ。
 いくら貧乏学生とは言え、例のパツンパツンの紺のジャージに、サッカー少年みたいなブカブカのベンチコートはさすがにない。しかもブーツではなく黒長靴ときた。用水路掃除じゃあるまいし。
 本人にはいい気になるので決して言わないが、折角の都会的な美人が台無しだ。
 早くも嫌な予感がする。男が女性に感じる、あの嫌な予感だ。
 「じゃ、出発しますよー」
 オンボロの軽がヒビだらけのアスファルトの上をガタゴト揺れながら、目的地へと発進した。まず向かうのは、あの動物園だ。

 出だしの予感通り、二人の行程は珍道中となった。
 僕の車にはカーナビなどという高価なものは付いていない。そうなると道路地図を手渡したかおるを頼らなければならない。
 しかしものの本による通り、れっきとした女性のかおるは地図がまともに読めない。
 道路標識でなく彼女のほうを頼った僕が馬鹿だった。インターチェンジの入口を一体何度通り過ぎたのだろう。
 ようやく山陽道に乗れたと思ったら、今度は朝ご飯だの腹減っただのとかおるが騒ぎ始めた。僕は取り敢えず一番近いサービスエリアに入って、かおるに牛丼を与えて黙らせた。
 話し好きの女性を助手席に乗せるのは、眠気に襲われないので助かる。
 しかし話に花が咲き過ぎて肝心なことを忘れることもある。
 ガソリンがもうすぐ切れることに、何故かサービスエリアの入口を過ぎた瞬間に僕は気付いた。
 車内は途端に大騒ぎ。次のサービスエリアまでガソリンは持つの持たないの。メーターがゼロになったのまだ大丈夫だの。二人とも落ち着きがなさ過ぎる。
 無事ガソリンを入れ終わってホッとしたのも束の間、今度は僕のお腹が突然痛み出した。
 出発直前だったのでまだ良かったが、十五分以上経って戻ると、かおるは待っている間に見事に眠ってしまっていた。あぁもう……

 「……あれぇ。いつの間に高速降りたんですかぁ?」
 「もう三十分前に降りましたよ」
 微妙な空気を意図的に発してみたが、そこは女性の得意分野。かおるは見事に受け流して、こう言い放った。
 「広島に来たなら、やっぱりお好み焼きですよねー。今から立ち寄りません?」
 「後です!こんな時間にやっとるとこなんかあらへんがな!」
 出したくもない似非関西弁がまた出た。
 横でケラケラ笑うかおるに腹を立てつつも、実は一人で来なくて良かったと思っていた。
 もし一人きりなら、マスターのことを考え過ぎて、いたたまれなくなっていただろう。
 少なくとも車内では、マスターと奥さんのことを僕は忘れることができた。

 高速道路を降りて約三十分で、僕らの車は無事に安佐動物公園に到着した。
 雨はまだ降り続いていた。駐車場の脇には何日か前に積もった雪だろうか、みぞれ状の小山が煤で点々と黒ずんでいた。予想以上の寒さに、僕はグレーのマフラーをしっかりと首に巻き付け、かおるもまたベンチコートのポケットに両手を突っ込んだ。

 「恭介さん、あれ!」
 かおるが指差したエントランスの向こうには、淡いピンク色のフラミンゴが何羽も佇んでいた。
 二人は喫茶店の名前の由来を、あっという間に知ることとなった。
 間違いない。あの写真はこの動物園で撮ったものだ。
 だだっ広い公園内は日曜日にもかかわらず人がまばらだ。氷点下寸前な上に雪よりも視覚的に冷え込む雨模様。わざわざこの日にこの場所を遊び場として選ぶ人は、市内の人々でもそうそういないのだろう。
 僕らは閑散とした園内を、同じく凍えそうに見える動物たちをちらちらと眺めながら、目的地を探していた。
 「ごめん。またちょっと行かせて……」
 寒い冬はどうしてもトイレが近くなる。かおるも仕方ないという顔をして、自分もついでに行くといってトイレを探した。

 すると、枯れ草だらけの広場の端にトイレを見つけたと同時に、通路の向こう側にあの動物が見えた。
 「あれ、虎じゃないですか?」
 お互いに用を済ませると、濡れた足下も気にすることなく二人はその檻の近くまで小走りで駆けて行った。
 看板にはアムールトラと書いてあった。立派な顔付きの雄虎の向こうには、お母さん虎と足下にじゃれ付く二匹の可愛い小虎が見えた。
 写真に写っていたのは雌の虎。あの写真は借りてきていないが、確かにこんな顔付きをしていたように思えた。
 「この角度で撮ったんじゃないですか?」
 かおるの観察眼は素晴らしい。肉食動物ゾーンのすぐ近くにベンチが二つ並んでいた。
 ここにマスターたちは座って、写真を撮ったのだろう。
 何気ない一日がとても嬉しい、そんな写真の中の二人を僕は想像していた。

 僕ら二人は広島市内へと向かって、かおる所望のお好み焼き店を探しに行った。
 日曜ともなると市内中心部はとんでもない混み様になる。しかも広島の道路は路面電車最優先。そしてかおるの下調べによる目的のお店はこれまた分かりにくい場所にあるときた。平和公園近くの交差点でもまた、僕らは想定外の出来事に大騒ぎしていた。
 「えぇ?ここって一方通行!?」
 「わわっ、後ろから電車がやってきましたよ!早く避けないと!」
 「そんなこと急に言ったって、車がどんどん来よって元に戻れんし……」
 ブワァーン!
 背後からやって来た最新型らしき白い路面電車に豪快に警告音を鳴らされた。
 焦った僕は何とかして本線に戻り、申し訳なさそうに電車に向かって頭を下げた。
 「もう何処でもいいじゃん。疲れたし……」
 長距離と都会の運転に疲労困憊の僕を見かねて、さすがのかおるも少しは考慮してくれたのだろう。
 「それじゃあもう、宇品に向かいますか」


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