[小説 祭りのあと(13)]一月のこと~フラミンゴのじいさん(その1)~
ピコピコ。ピコピコ。ガー。ガー。
「何ですか、それ?」
「えっ、見て分からん?ロボット」
「いや、それは分かりますけど…」
コーヒーカップの横で音を立ててロボットくんはゆっくりと歩いていた。
クリスマス直後にユウジからラジカセを返してもらった後に、僕はただの思い付きだけでガラクタを寄せ集めてロボットを組み立てた。
右目に黒い石を付けた、身長十五センチの小さなヤツだ。
料理上手な母のお節料理は美味しいのだが、六日間も経つとさすがに飽きる。
僕は中津瀬神社で少し遅めの初詣を済ませた後に、喫茶フラミンゴでモーニングのトーストを頂いていた。
正月の仕事始めも無事終わり、この日は商店街のほぼ全てが定休日。年中基本的に休みなしの、喫茶フラミンゴ以外は。
「これねぇ、探し物を見つけることができるんよ」
かおるは相変わらず怪訝そうだ。
「昨日の晩もね、帰ってきてからずっと見つからんかったこの鍵を見つけたんよ」
そう言って僕はピーコートのポケットから、赤いスポーツカーのキーホルダーに取り付けた鍵をかおるに見せた。
「それ、何の鍵ですか?」
「大阪で住んでた部屋の合鍵」
「もう要らないものでしょ。それに偶然じゃないんですか。単に部屋が散らかっていただけとか」
痛いところをかおるに突かれた。
確かにここ数ヶ月、掃除機をかけた記憶がない。いや一年だったか。そうすると帰ってきてから一回もしてないってことか。
ピピピッ。ピーピー。ガッ、ガッ。
かおるの言葉を受け流して、僕はにやけた顔でテーブルの上のロボットと戯れた。
付き合い切れないと諦めたのか、かおるはカウンターの奥へと引っ込んだ。
「マスター。相変わらず仲ええのぅ」
カウンター席に一人で座る、元市役所職員で常連の高杉さんに突っ込まれて、上機嫌なのはマスターだけ。一方のかおるはただ苦笑い。
「困るんですよ。マスターいっつも私にちょっかい出してきて」
「いやいや、彼女くらいしかこの店に若い娘は来らんでしょ。ついついねぇ」
「ものにも限度ってありますよねぇ、高杉さん」
「まあまあ、年寄りへのボランティアと思って、付き合ってやりんさい」
高杉さんの言葉にマスターは高笑いをしていた。普通の会社だったら、明らかにセクハラとやらで訴えられるだろうな。
ピコピコピー。カッ、カッ、ゴトン。
「あっ。倒れた。ここに何かあるかも」
ロボットくんが倒れたら、その指差す所に探し物があるのだ。
彼は漫画の単行本が並んでいる本棚を指差して倒れた。
僕の独り言は誰にも聞こえていなかったらしい。僕は目的の漫画の巻を探す振りをして、本棚を探ってみた。
パッと見では同じタイトルの単行本が整然と並んでいるだけだった。僕は一冊一冊取り出して、パラパラとめくってみた。
するとその漫画の第五巻の間から、一枚の写真が床へはらりと舞い落ちた。
それは若い男女が笑顔で写っている白黒の写真だった。
この女性にはどこか見覚えが。
誰だこの人は?そう思いながらカウンターの方を見た時に、思い掛けないことに気付いてしまった。
僕の驚いた顔を見て、マスターは何かを察したように僕に近付いた。
僕は写真とカウンター越しのかおるとを交互に指差して、これってどういうことと言わんばかりに、口をあんぐりと開けたままマスターに目で訴えた。
「あぁ。こんな所にあったんか。道理で探してもないと思ったよ」
「これって、もしかしてマスター?」
「そうよ。で、これが嫁さん」
わぁー。
僕はとんでもないことを知ってしまった。
マスターの奥さんとやらと、かおるとが瓜二つなのだ。
一人で切り盛りできる筈のこの喫茶店に、何故彼女がアルバイトをしているのか、理由が突然分かってしまった。
「ちょっとちょっと、かおるちゃん。こっちこっち」
動揺を隠せないままで僕はかおるを手招きして呼んだ。
これは何を言って説明するよりも、見てもらうほうが手っ取り早い。
「えぇ!?これ私じゃないですか!」
びっくりする二人を尻目に、マスターは聞いてもいないことをつらつらと話し始めた。
「誰にも言わんでよ。かおるちゃんは嫁さんに似とったから、アルバイトにしたんよ」
そんなこともう分かってる。変な興奮が収まらないまま、僕は質問した。
「何でこの漫画に、この写真が挟んであったんですか!?」
「いやいや偶然、偶然。暫く前にお客さんがおらん時に読んどったんよ。その時についしおり代わりにね」
「いやいや、これ大事な写真でしょ。それをしおりだなんて」
「いや、だから丁度手許にあったけぇ挿しただけよ。本当に偶然なんじゃて」
奇妙な高揚感に駆られる二人をからかっている訳ではないのだろうが、マスターは手に取った写真をにこやかに見つめては、こちらをニヤッとするのを繰り返すのだった。
「ちょっとその写真、もう一度見せてもらえませんか?」
僕はマスターから写真を受け取って、二人の背後に写る景色をよく観察してみた。
檻のようなものが見える。雌の虎だろうか。動物園で撮った写真のように見えた。
「これ、徳山の動物園ですか?」
「いや。そこに行ったことはなーよ。嫁さんが亡くなってからすぐにここに来て、何処にも出かけとらんけぇのー」
奥さんが亡くなってから、宇部にやって来たのか。
過去のことをマスターは全く話さないので、そのことさえ初めて知った。
「奥さんは何故亡くなったんですか?」
かおるが尋ねると、急にマスターは黙ってしまった。
まあいいじゃないかと作り笑いをして、カウンターに戻っていってしまった。
白黒写真に動物園。
マスターの嬉しそうな顔と黙り込んだ表情。
何かを隠そうとするその態度に、よくある理由で奥さんを失くしたのではないのだろうと、僕は感じた。
ピー。ピピー。ギーコギーコ。倒れたままで手足を動かすロボットの音が、ようやく僕にもうるさいものに聞こえた。
その日の帰りに僕は、裏口で餅の箱を洗っていた大崎さんにマスターのことを聞いてみた。生まれてからずっとここで暮らしていた彼なら、知っている可能性があるからだ。
「あぁ角田さんなぁ。わしが継いですぐに喫茶店を開いて、もう四十年も経ったか。昔から面白い話、いつも聞かせてくれよってなぁ。何かここら辺じゃあない、ちょっと都会者って雰囲気じゃったのう」
「ふーん。都会的ねぇ……」
この辺りで都会と言えば、大阪か福岡、広島とかだろうか。
そう想像してから程なく、その答えは出た。
「おぉ。今じゃ全然出んけど、昔は『ほいじゃけぇ』とか『しょーるん』とか言うとったかなぁ。こことは微妙に違うアクセントじゃったし」
「あっ、大崎さんありがとうございます」
それは大きなヒントをもらった。早速明日その件をマスターに尋ねてみよう。
「マスターって、広島出身なんですか?」
サイフォンからブラックコーヒーを淹れるマスターの手が止まった。
彼はカウンター越しに僕を見て、再びコーヒーを淹れ続けた。
「ああ。そうよ」
僕にコーヒーカップを差し出して、マスターはまたそれきり一言も話さなかった。
「あっ。そうするとあの動物園って、広島の安佐ですか?」
かおるが見事な連携プレーで、僕が言いたかったことを切り出した。
マスターらしくない無表情。相変わらず黙ったままだ。
「マスター。あんまり話したくないことなんですね」
彼は頷きもしない。だが一言だけ、僕ら二人にヒントを与えてくれた。
「上河内さんに聞いてみんさいよ、宇品の」
僕はかおると顔を見合わせた。
僕はトイレの方へ駆け寄り、かおるに手招きをして耳打ちをした。
「今度の土日、どっちか一日時間ある?」
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