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[小説 祭りのあと(23)]四月のこと~さよならキューピー(その3)~

 聞こえてくるのは、夜警のサイレンの音だけだ。
 午後九時前の浅田家の二階は、腕組みする男女三人が押し黙って考え込み過ぎていた。重苦しい雰囲気に押し潰されそうだ。
 「あぁーもうー。こんなん分からんってー」
 溜息をついて両腕を上げ大きく背伸びする僕を見かねて、幸がサッと立ち上がった。
 「気分替えよう。カリッとすればいい案も思いつくかも」
 そう言って数分後に幸が持ってきたのは、大野漬物店の白い沢庵と藤井茶店の伊勢のかぶせ茶だった。この組み合わせは最高だ。さすが幸だ。気が利いている。

 カリコリ言わせながら三人は取り敢えずの案をあれこれと言い始めた。
 「病院って余りにも短絡過ぎるか」
 「そうよ。それにそんな所見られたらどう広まっちゃうか分からんよ」
 「でも心の問題じゃけぇのぅ」
 「もしかしてよ。私たちが若過ぎるけぇ分からんこともあるんかも」
 「年の功ってか」
 「そう。それで口が堅いって条件が合えばってところよ」
 お年寄りはお陰さまで商店街にはたくさんいる。だがこの狭い世界で秘密を口外しない人となると、相当絞られてくる。
 一番先に名前が挙がったのは、商店街代表の大崎さんだった。
 「確かに、肝心な所でしか口は割らんからな。でも女性の気持ちまで分かるか?」
 「聞いてみないままで終わらすよりもましじゃと思うけど」
 「じゃあそこは抑えとして取っておくとしてよ。女の人で口が堅いって……」
 相当な難題に三人はまたもやぶつかった。
 お喋り好きで定評のある女性陣の中で口が堅い人など、全く思いつかない……そうやって頭の中で、僕が堂々巡りをしている最中のことだ。

 「あっ!」
 幸が突然大きく叫んだ。
 「なんだよおい」
 「身近な人、すっかり忘れとったわ」
 「誰それ?」
 そう言った僕のほうを、幸は指差した。
 「僕、男だけど」
 「違うに決まっとるでしょ。恭くんのお母さんよ」
 「おぉっ」僕と陽治は思わず、なるほどと唸った。
 母は基本もの静かで、奥様方のお喋りの中でも徹底的に聞き役だ。
 そして余計なことは一切喋らず、ここぞという時に見事に的を得た発言で誰もを驚かせるのだ。
 「冬の初めに航ちゃんの件があったの、陽ちゃん覚えとる?」
 「あぁ。案内所の話な」
 「大浦さん家の話、あの時まで全く誰も知らんかったでしょ。同じ職場なら何でも知っとうのに、あれだけ口外しないんじゃけぇ。それに何を隠し持っとーか謎が多いし。今回も絶対になんとかしてもらえーと思うんじゃけど」
 そう言って幸は僕の方を凝視した。
 圧迫感が半端ではない。
 分かりました。僕が説得すればいいんですよね。

 「五木さん家の恵美ちゃんね。大丈夫かしらって思っとったんよ」
 話し合いの後に家に帰ると、母はまだ起きていた。
 居間に背筋を伸ばして正座し、熱いほうじ茶をすすっていた。
 僕が話を切り出すと、母は彼女が流産した可能性があることも、勘付いていたそうだ。
 「どうやって分かったんよ、そんなこと」
 「えっ?まぁ、あんたにはまだ分からんかな。歳取ると見えるもんもあるんよ。うふっ」
 そう言って母は、うら若き女子学生のように肩を上げて笑った。
 何だ僕の背中に感じるこの悪寒は。
 可愛げがある筈なのに、訳ありげな女性ならではの、どす黒い裏の顔がちらついた。
 幸のお眼鏡に適った通り、この人はやはり一味違うらしい。

 「どうやったほうがいいか分からんのよ。やっぱり病院とかに行かせないと駄目?」
 「ちゃんと治すならゆくゆくはねぇ……でも今それすると広まるよ。恵美ちゃん居づらくなるわね」
 やはり幸と同じ考えだ。
 暫くの沈黙の後、母は膝を一回叩いた。
 「よし。私が一肌脱ぎましょうか」
 「はぁ?」
 予想だにしていない積極的な回答に、僕は訳が分からずとんまな返事をしてしまった。
 そんな僕を母は一切気にしない。母は家具調こたつの前に座ったままで、呆然と立ちっ放しの僕の方に手のひらを返し、したり顔でこう言い放った。
 「お幾らいただけますか?」
 こういう所もなんたら仕事人のようで謎めいている。
 僕は仕方なく、前から欲しがっていたくるくるドライヤーを注文してあげることにした。
 さっきの手のひらで母は自分の胸をポンと叩き、今度は僕を驚愕させた。
 「わたくし、心理系強いんでございますよ」
 「嘘ぉー!?」
 嘘なんか言いますもんかと、母はでお茶をまた一口飲んだ。
 澄ました顔でこういう衝撃の事実をいとも簡単に言ってのけるのも、この母なのだ。
 「いつの間にそんなこと勉強しとったんよ?」
 「ふふっ。な、い、しょ」
 だから何なんだこの不敵な笑みは。気味が悪過ぎて僕は頭がクラクラしてきた。
 この母親は何処かの国のスパイか何かなのか。実の息子にさえ、寸止めで真実を決して明かさない。過去が一切分からない。秘密主義にも程がある。
 これ以上突っ込むのは、身体に悪いので止めた。
 「それにしても……そういうの詳しい割には、僕の痛い所ばっか突いてくるね」
 「そりゃそうよ。突っ込みどころが満載じゃもん。それに自分の息子に遠慮なんかするもんかいね」
 道理で近所の人たちやお客さんに対しては心遣いのある態度を自然と取り、僕に対してのみ真正面からポイポイ爆弾を投げつけてくる訳だ。
 これは絶対に敵に回してはいけない相手だ。

 「で、恭介。あんたのオンボロロボットが可愛くなったやつを、彼女は離さんのね」
 「……そ、そうじゃけど」
 敵に回してはいけない。僕は自分自身に懸命に言い聞かせて「オンボロ」という言葉をなんとか聞き流した。
 「無理に取り上げるのは駄目。依存するのには必ず理由があるし、それをまず解決せんといけんよ。それが解けて初めて、本人の意志で自然と遠ざかる。時間はかかるけどこれが一番効果があるわよね」
 作戦決行は私がタイミングを見計らうから、あんたたちは仕事をしておきなさいと母は言った。
 しかし自分から話を振っておいて、知らぬ存ぜぬと白を切るにはいかないだろう。


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