[小説 祭りのあと(22)]四月のこと~さよならキューピー(その2)~
「和己さん、久し振りじゃねぇ」
翌日の昼頃だろうか。浅田精肉店に和己さんが豚ロース肉を買いにやってきた。
「いや、恵美に精付けてやらんとね。久し振りにここのお肉食べたいって言ったんですよ」
心なしか力のない声の中にある重要な単語を、陽治は聞き逃さなかった。
お身体が良くないのかと尋ねると、昨日の昼に病院から帰ってきたのだと和己さんは答えたのだった。
「和己さーん。恵美ちゃん大丈夫?今度の月曜日にでもお邪魔しようかって思うとるんじゃけど、いいかなぁ」
変に気遣わない明るい雰囲気で幸が奥から声を掛けた。
元気のなかった和己さんはその声に少し気持ちが和らいだのか、奥の彼女に聞こえるようにトーンが高めの声を上げて「いいですよ」と答えた。
「よしっ」
お肉を受け取った和己さんが立ち去ると同時に、幸は両手で小さくガッツポーズをした。こちらの準備は着々と進行している。
さてそうすると僕のほうだが、日中は修理や取り付け作業で得意先を回りっぱなし。
お店にとってはいいのだが、ロボット改修の時間が全然取れない。
二日間と言ったからにはと、珍しく最初の一日は完徹をした。
適当に河原で拾って取り付けた左目の石は灰色だったので、右目の黒い石に合うような石を夕方の帰り道に一時間以上掛けてようやく見つけた。
喋らせるなんて高等な技は制限時間内にできる筈がない。せめていろんな動きができるようにと、関節辺りをいろいろといじってみた。リミットの日にはようやく動きだけはまともになった。
ただし、見た目はセンスもひったくれもない状況になった。
「ほんっとに、センスないね」
「うるさいわ。どうせこれから直すんじゃろうが」
出来上がったのは夜の九時半過ぎ。できるだけ早くというリクエストにお応えして連絡したら、今ならいいわよと幸の回答。
岡本製菓店で買ったという可愛らしい菜の花を、正座してお行儀よく竹楊枝で切っては一口頬張り、僕と陽治は奥へと戻った幸が帰ってくるのを待った。
「これでなんとかして差し上げましょう」
彼女が手にしていたのは、明るい茶色の革の生地。正確に言えば合成皮革だが、革婚式というテーマにはぴったりだ。
「このガチャガチャにどうやってくっ付けるんよ。かなりなっちょらんぞ」
「だからガチャガチャってのが余計なんよ」
「大丈夫。私に任せんさい。このどうしようもないガチャガチャが見事に生まれ変わりますからねー」
「どうしようもないまで付けるかね」
プンプンし通しの僕を尻目に、幸はああでもないこうでもないと、そのガチャガチャとやらに生地を当てて思考中なのだった。
「はい。イメージ完成です。待ってなさいよー。このガラクタが素晴らしくなりますけーねー」
「いつの間にガラクタに変わっとるん?」
まあいい。出来上がりを想像する幸の表情を見ていたら、僕のガラクタがどんな具合に変わるのか、俄然楽しみになったのだから。
ギーコ。ギーコ。ガチャガチャ。
「どうしたの、これ?」
部屋の入口からクマさんロボットが、赤い小箱を持って恵美さんのほうへと歩いていった。
幸はガラクタを見事なまでの小グマに生まれ変わらせた。小箱は和己さんがパティスリー・ウエムラで特注したチョコレートだ。
「わぁー可愛い……どうしたんですかこのクマさん?」
和己さんと一緒に入口から覗いていた幸に尋ねた恵美さんは、久し振りの笑顔を見せたようだった。
「今日は結婚記念日でしょ。電器屋の下村君との共作なんだけど、どうかな」
ガチャ。ガチャ。コテッ。
チョコレートの箱を持ったまま、クマさんはやはり横にコケてしまった。それを見た恵美さんはクスッと笑ってこう言うのだった。
「えぇ。こういうの大好き。本当にいいんですか……ありがとうございます」
彼女は倒れたクマさんをもう一度立たせてあげた。自分の近くまでやってくるのを微笑みながら座って待っている彼女の姿を見て、二人は取り敢えず一安心したのだった。
その次の日から、恵美さんはようやくお店に再び立つようになった。
それまで一人で店を回さなければならなかった和己さんは、二週間近く中断していた隣の空き店舗を利用したラジコンレースを再開させ、たくさんの小中学生で店は賑わいを取り戻し始めた。この分だと、プラモデル教室もそろそろ始まることだろう。
カウンターに立つ恵美さんの隣にはクマさんが常にいた。時にスイッチを入れては路上で歩かせて、小さな来客たちを楽しませた。
元通りになりつつあると、傍目にはそう思えた。
「また賑やかになりましたね」
僕の言葉にも、何処か冴えない表情を和己さんはするのだった。それは店主会が終わった後の会話であった。
「どうしたんですか。浮かない顔で」
言いにくそうだった彼が、重い口を開いた。
「恵美が困ったことになったんですよ」
「えっ、何があったんですか?」
僕の問いに、彼は言い辛そうになった。
それは確かに、僕には言いにくいことだろうと、聞いてすぐに解った。
「頂いたあのクマのロボット、あれに依存し過ぎとるんです」
これは予想外の事態だ。
悲しみから立ち直ったかと思いきや、違う症状に入れ替わっただけだったのだ。
「あれが見えなくなると、途端に不安に襲われるようで。時に大声を上げることもあるんです。何処に行くにも眠る時にも、近くにないと落ち着かんのです。僕はどうしてあげればいいんでしょう……」
これは彼だけでなく、僕ら三人でも太刀打ちできない問題だ。
あらゆる人に助けを借りなければ。僕は和己さんに事情を話してもいいかと確認した。あまり広めないでくれという条件付きだが、了承をもらうことができた。
さて、要らぬ噂を広めずに協力してもらえるのは誰なんだ。今夜も会議をしなければ。