![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/160268575/rectangle_large_type_2_ad083d1ab7e8d38d28aa0a04c6b89aeb.jpeg?width=1200)
結局誰に向けて作られたのか分からない実写化に【Amazonオリジナルドラマ「龍が如く beyond the game」】
正直映画版の方がまだやりたいことが見えて幾分かマシだったように感じてしまう。
映画であれだけオリジナルに改編してもそう思えてしまうのはやはり「龍が如く」という原作の奥行きと懐の深さが分かる。しかし遥かにキャストの質も予算もあげたアマプラドラマの方が実写としてもヤクザドラマとしてもズレていった。
原作から離れてオリジナル脚本になるのも原作と区分けする景色が見えるならいいと思っているが、原作ファンに向けて作っているとは思えなかったし、かといってこれからSwitchで始める新しい新規層に見せるにしても不親切な構成と内容だった。
結局一ドラマ作品として見てもどの層の誰に向けて作られていたのかもよく見えない曖昧な出来だったのが自分は残念だった。
あらすじ
舞台は新宿・歌舞伎町をモチーフにした架空の街、神室町。1995年と2005年の二つの時間軸が交錯しながら物語が展開する。幼くして親を失い、児童養護施設で暮らす桐生一馬、錦山彰、澤村由美、錦山ミホは、規律に縛られた暮らしから新しい世界へ飛び出そうと、1995年の神室町を支配するヤクザの世界に飛び込む。
桐生一馬さんは結局何をされてる方だったのか
ドラマ序盤から現在と過去軸の交差する中で桐生や錦、由美などの過去編を巡って新たに描かれた。
彼らはまず風間の親っさんが面倒を見る施設から逃げるのに、堂島組の金と分かって盗むほど必死だった。原作では見えない親っさんへの反抗期の姿も新しい。
ドラマ版の彼らはとにかく規律に縛られる世界から抜け出すことに必死だったという。しかし堂島組にはすぐに盗まれたことがバレて桐生は贖罪として組に入ることを志願する。
「堂島の龍になりたいんです」という発言もここで出てくるが、彼は肩書を語っていたのではなく地下格闘技にいた「堂島の龍」(後に風間の親っさんだったと分かる)に昔から憧れていた。
原作と違う展開をここから広げようとしていた意味は理解できたが、ヤクザドラマの桐生というキャラクターとしてどう見ていいのかも案の定ここからブレはじめる。
過去を巡って命を張る戦いは地下格闘技にほぼ終始していくが彼はヤクザの世界での成り上がりではなく、格闘家をただ目指していたのかと思わせられてしまう。
堂島組に入ってもヤクザとしてのドラマは広がらず、組で仕事をしているような場面は洗車ぐらいの印象だった。あとはコマ劇前でシャドーボクシングを繰り返す。
堂島組内のドラマもトップダウンだけの組織としか描かれず組員内の上下関係の話は全くないのもこのテーマの話としては残念である。
なので桐生と錦も親っさんの反抗期で出ていった規律から逃れたい時期からの成長過程は見えない。
過去編ではなんだかちょっと失礼な二人が浮いてしまい、結局主人公の桐生さんは組に入ってもどうしたい人なのかが見えない人で終わった。
時間軸の見分けがつかない
現代とされる2005年と過去の95年の時間軸を行き来する構成だったが、時間軸の見分けが忙しなく見分けがつかないのは映像作品として厳しかった。
一つは先述したように桐生や錦を初めキャラクターの成長過程のドラマが見えてこないからだろう。だから現代に移ったかどうかは服装や出で立ちぐらいでしか判別がつかない。
あと物語としては関係ないが時代背景が見える演出が少なかったのもあるかもしれない。
また中盤からは由美が原作にはなかった姉を探すことになるがここも100億を盗んだところを点に、現代に移っても姉を探しているため判別が主人公二人同様服装の違いでしかよく分からない。
姉はなぜわざわざ近江連合の100億も盗む必要があったのか、彼氏は何者だったのか、この辺りも最後まで明かされず適当に姿を現して死んでしまうので由美のドラマが新たに紡がれる意味が見えなかった。ドラマとしては一番大事なところだったのに。
せめて錦との関係性に至る話ぐらいはファンとしてはもっと見せてほしかったがそれも叶わなかった。
キャラクター同士のドラマが見えない
ここはファン目線もあるだろうが、全体的に通して言えるのはキャラクターも新たに作っている割にキャラそれぞれのドラマ性が見えずに終わってしまったこと。
桐生や錦が組に入った上での成長譚がなければ、姉が100億を盗まなければならなかった目的や遥が姉の子になったうえでの由美の影響など
前日譚的な役割が見える家族ドラマに見せたかったのは分かるがその大きなテーマ性の中で話が曖昧でそもそもヤクザドラマである必要があったのかも疑問に思えてくる。
最後に親殺しの身代わりになる場面も錦としてはもう妹が亡くなった時点で復讐で全て完結しているように敢えて描いたのに、桐生がわざわざ身代わりになるのはなんだか不自然だった。
ここも錦と桐生の組での兄弟までに至る関係性や成長過程が見えたら泣けたのかもしれないが、それまでの時間軸が目まぐるしかった故に何を繋げて見ればよく分からず湧いてこない。原作と真逆に最後に持ってきた意味はあまり発揮されなかった。
現代軸に戻っても100億の真相が曖昧に終わるので二人が争う理由は初めて見た人ほどよく分からないだろうと思った。
桐生と伊達さんの関係性もシリーズ通して大事になるはずなのだが厄介な警官である以外は描かれず終盤の抗争も一警官として傍観するに終わる。
次シリーズが制作されるのかは分からないが、近江連合もあれだけ堂島組に躍起になったことを踏まえると今後の対立軸としては弱い。原作では2から出てくるわけだが、堂島組が100億ごときで勝手に内部抗争をしてるという上の姿勢でちょっかいをかけてくるから手ごわかったわけで。
良くも悪くもドラマで興奮したのは真島の兄さんの存在だけだった。役の青木氏は原作を見て作りこんだらしいが、他のキャスト話では原作を観ないようにされたなど演出もまばらな感じで作られた様子も裏話でこぼれてくる。
原作にもキャスト陣にも全く非を感じないのもこのドラマにおける居たたまれなさである。
脚本も元々ハリウッド向けに作られたのを焼き回ししたのではという噂もあるがセリフ回しや銭湯がアジトになるような設定など違和感がある箇所も多いのできっとそうなのだろう。
結局どの層の誰に向けて作られたのかが日本人には見えてこない作品になってしまった。ある意味今すぐ原作プレイしたくなる人が増える機会になるのだろう。