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モバイルワープロ時代

大学に入ってパソコンより先に日本語ワープロを使うようになった話は以下に書いたのですが、高価で机の上でしか使えなかったワープロが持ち運べるようになったインパクトは大きなものがありました。

OASYS LITE - はじめての日本語ワープロ

この時代、まだパソコンは机の上で使うもので、日本語が使えるようにはなっていまいたが、日本語ワープロに比べれば制約も大きく、決して使い勝手の良いものではありませんでした。何せ漢字フォントもオプションであったり、持っているとしても第1水準のみということも多く、加えてプリンタにも漢字フォントを追加する必要がありました。今のようにパソコン側からプリンタにフォントデータを送って印刷するというのは不可能でないにしてもとても時間がかかってしまうものでした。それに大部分のパソコンは16✕16ドットの漢字フォントで、プリンタにはそれを上回る24✕24ドットを扱えるものが多かったのですが、それには専用の日本語フォントが必要でした。

という訳で、携帯型日本語ワープロはとても使いやすかったのです。私はたまたまOASYSを選びましたが、パソコンも出しているような多くの家電メーカからは、富士通であればOASYS、東芝からはRupo、シャープからは書院、そしてNECからは文豪というように、いろいろな日本語ワープロ専用機が出ていました。

OASYS

Rupo

書院 (ワープロ)

文豪

大部分のメーカーは日本語ワープロ黎明期から、それぞれ独自の日本語変換機能を備えた専用機を出していたのですが、OASYS LITEな時代にはプリンタを内蔵した持ち歩けるような専用機を出すようになっていました。これだけ乱立したのも、日本語変換の方法がそれぞれ独自のもので、OASYSに至ってはご存知の人は御存知の通り、キーボードまで独自のもの(親指シフト)を使っていました。

日本語変換方式はようやく連文節変換が謳われ始めた頃で、まだ正しく文節が判定できないことも多く、文節ごとに変換キーを押す単文節変換的な使い方のほうが主流だったと思います。辞書の精度は各社マチマチで、ある会社の辞書は硬めの単語が出やすいとか、別の会社の辞書はキチンと文節を指定しないと何かとスプラッタな単語を選びやすいとかクセがありました。まだタイトな容量の辞書でもあったので、送り仮名が「正しい」ものしか扱えず、古い文書を打ち込んだりすると、どうもうまくいかないなんていうことも覚えています。

それぞれ独自の入力方式をサポートしていたのですが、基本的にローマ字入力も併用できました。困るのがローマ字の細かな部分のルールが異なることで、小文字を L で始めたり、X を使ったり。ヘボン式が使えたとは言え「ディーヴァ」なんて入力するには「どの文字を打てばいいんだ?」と悩むこともありました。

学生だったのでレポートを書く機会が多く、いずれかのワープロを使っている人も多かったのですが、データに互換性が無く、他人の書いたレポートを「活用!?」するには、結局、印刷したものを打ち直すことの方が多かったです。まだフロッピーが無かったので、そんなに長い文書ではなかったから良かったのですけどね。

必要な文書のサイズが長くなるに連れ、データを手軽に保管して使えないのは致命傷となり、徐々にパソコンを使うようになっていきました。この時代のワープロはあくまで「日本語タイプライタ」として使われたのだと思います。ただ持ち歩ける魅力は捨てがたく(実は外で印刷できるのは便利だった)、使いやすいラップトップPCが無いかと思うようになっていきました(印刷は研究室でプリンタを借りる)。

ワープロの歴史

ワードプロセッサ

ヘッダ画像は、以下のものを使わせて頂きました。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:TOSHIBA_JW-P22.jpg
濟藤もえぎ - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=70572469による

#レトロデバイス #日本語ワープロ #OASUS #Rupo #書院 #文豪 #連文節変換

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