日本語ワープロソフト時代の始まり
8ビットPCの時代から漢字を扱えるワープロのようなソフトはあるにはあったのですが、画面に表示できる文字数が少なすぎる上にハードウェア的にもグラフィック画面に漢字を描画しているものが殆どで、チラシのような印刷物を作るのであればまだしも、一般的な文章を入力して編集するには明らかに力不足でした。そんな時代に日本語ワープロ専用機が急速に普及し、日本語の文書を扱うにはパソコンではなく、専用機というのが一般的でした。
パソコンも16ビットとなり多くのメモリを搭載するようになり、画面の解像度も上がり、最初から漢字ROMを搭載し中にはテキスト画面で漢字を扱える機種も登場するようになりました。例えばPC-9801シリーズは、まさにそれなのですが、DISK-BASICについてくる日本語変換は、まだまだ前時代のものでしたし、せっかくの能力も宝の持ち腐れ気味でした。そんな中でもエイセルからはJ-WORD という日本語ワープロソフトが登場し、アイ企画からもPC-8801向けとともに98向けにも文筆が発売されました。
エイセル株式会社
そして管理工学研究所の「松」が登場し、その使い勝手は高く評価され専用機にも劣らない使い勝手が注目されました。もっともパソコンでワープロを使うには本体だけではなく対応するプリンタも必要で、当時はプリンタにも漢字フォントが搭載されている必要もあり、それまでのようにトラクトフィードという訳にはいかず、なかなか専用機を脅かすまでには至りませんでした。
松 (ワープロ)
ところでPC-100向けにリリースされたJS-WORDがVer2となってPC-9801向けに1984年の夏頃に登場したのですが、いずれも販売はアスキーからでした。これを開発したのがジャストシステムで、日本語変換機能はKTISと呼ばれていました。これは同じシリーズとして売られていたMultiplanでも使うことが出来、特定のアプリを超えて日本語変換機能が使われるようになりました。PC-100を意識したのかGUIベースのワープロで、これを使うためにわざわざマウスまで販売していました。DISK-BASIC時代でもBASICはマウスはサポートされていたものの、CADソフトでも使わない限りわざわざマウスを使う必要もなく、大部分の人は持っていませんでした。薄っすらと使った記憶が残っているのですが、グラフィカル・ベースのアプリなので、全体に動作がモッサリとしていて、キーボードでの操作は得意ではなくマウスを使わざる得ないところが難点でした。機能的には良く考えられているものの、日本語ワープロとしては松に比べれば物足りないところもあった気がします。
(16)ワープロソフト
PC-9801向けの日本語MS-DOS(V2.0)がリリースされたのは1983年11月で、DOS付属の日本語変換はようやく文節変換ができるようになっただけのもので、DISK-BASICで使えた日本語ワープロに比べれば物足りないものでした。当時はハードディスクはまだ滅多なことでは使われず、フロッピーディスクでシステムを起動する時代だったので、使いたいアプリケーションに併せてフロッピーを挿して再起動すれば、それぞれのOSを使い分けることも当然ではあったのですが、保存したファイルを互いにやりとりするには、何らかの変換が必要でした。
ジャストシステムは、JS-WORDの仕様と売れ行きに不満があったようで、アスキーとは袂を分かちIBM-JX向けのjX-WORDを1984年12月には自身のブランドで発売し、これをPC-9801向けに移植した「jX-WORD太郎」を1985年の8月にMS-DOS上に動作する日本語ワープロとして投入しました。
jX-WORD 太郎
これに刺激されたのか「松」もMS-DOS版が同じ価格帯でこの年のうちには登場し、ここからMS-DOS上での日本語ワープロの覇権争いが始まったわけです。当初は日本語ワープロ上の日本語変換機能はアプリケーション内に限定され、DOSのコマンドラインや他のアプリケーションから使うことは出来ませんでした。これが独立した機能として提供されるようになったのは、次の「一太郎」になってからで「松」に関してはかなり経つまで独立して使う機能は提供されませんでした。もっとも太郎に搭載されていたATOK3もユーザが解析してパッチを当てることでDOSから使う方法が発見され、使いにくいNECの変換ソフトと置き換えて使うようになっていました。この日本語変換機能がFEPと呼ばれるようになり、DOSに容易に組み込めるようになるまではもう少しかかりました。
何せ標準搭載メモリが128Kでしたし、辞書もフロッピーに置かれていたので、変換する度にカチカチとドライブにアクセスするので、特に2DDでは容量だけではなくアクセス速度が遅いので、その意味では2HDか8インチドライブが必須でした。それでもいろいろなソフトが個別に対応すること無く日本語が使えるようになったことは画期的で、ようやくワープロだけでなく、どんな処理にでも日本語が使えるようになるミライがようやく開けてきました。もっとも海外ソフトで日本語を使うためにはなかなか難しい問題もあって、多難な前途も見えてきたのですけどね。その辺りから次回にしましょう。
ヘッダ写真は、月刊アスキー1985年5月号に記載された広告より(部分)