見出し画像

アナログな電話

物心がついて最初に見た電話はいわゆる「黒電話」でした。ウチの場合、居間の電話台(台の中にはたいてい電話帳が)の上に鎮座していました。玄関に置いてある家も多かったみたいですね。デザインはこれ一択で可愛い布のカバーをかけているところも良く見かけました(うちは何もせず)。公衆電話も赤だけで10円しか使えませんでした。電話ボックスは殆どなくて、駅であるとかタバコ屋などに台の上に載っているだけというのが普通でした。

戦前(この表現自体が既に死語かも)は、逓信省というお役所で郵便と電話が同じカテゴリーだったこともあり、これらを両方とも扱っている大手町にあった逓信博物館には良く出かけていました。ここで電話システムの展示も見ていた覚えがあります。

逓信総合博物館

さすがに電話をするのにハンドルをぐるぐる回すタイプの電話機が使われているのは見たことは無いのですが、田舎の公民館にあった電話機にはダイアルが無くて受話器を上げると交換局の人が出て「何番にお願いします」と言って電話しているのは目撃したことがあります。普通の電話機に見える電話でも市外に電話をかけるには0を回すと、やはり交換局の人が出て「市外にお願いします」というのは、田舎にはまだ残っていました。

当時の自宅は2階建てだったので2階でも電話を使いたいということで、電電公社と相談したらしいのですが、もう1本電話を引くにはとてもお高く付きますし、同じ電話番号でなければかける方が大変です。そこでローゼットに直付けしていた電話機をソケットを介したものに工事をして、電話機自身を持ち運ぶことで2階でも使えるようにしたのを覚えています。電話機を自由に買うことはできなかったですし、持ち運ぶのですから同時に使うことは物理的にできません。

さてさて私も少し大きくなると自分の部屋で電話をしたくなります(理由はわかりますよね?)。その頃には秋葉原には中古の黒電話が売られていたので、これを買ってきて自室に引き込みました。ひとつの回線に電話機が2つパラレルにつながっているだけですから、電話がかかってくれば両方の電話機が鳴りますし、電話中にもう1台の受話器をあげれば通話は聞こえるわけです。受話器を上げた時にガチャという音がするので通話が聞かれたことはわかるのですが油断大敵です。

もう電気回路についての知識もあったので、なんとかしようと仕組みを調べ始めました。この過程で工事をするには資格が必要だということもわかったので、まず教科書を読んでみましたが、知り合いの人に資格を持っている人がいることがわかったので、工事自体はお願いできる見込みもできました。しかしながら使える装置に認定がいるみたいで、今度はそれを探すのに四苦八苦しました。

まあ実際に自室の電話を聞かれなくなるには、まだ時間がかかったのですが、教科書を読んだおかげで「発呼」とか「着呼」といった電電用語にも慣れましたし、ベルを鳴らす仕組みや課金処理のための極性反転も理解できたので、その気になれば悪いことも出来る準備は出来ました^^;。

その後、電電公社は民営化され、電話に直結出来なかったので、使わざる得なかった音響カップラもモデムを直結できるようになり、またFAXも普及し始めたので、電話システムは急速に便利に(ややこしく)なっていきました。この時に仕組を勉強しておいたことは、それなりに役立ちました。もっとも本格的に役立ったのはSIPを使うようになったときや、携帯のお仕事をしてからですけど。

そうそう、4線式ビジネスホンの内線電話交換機を設定するというミッションもありましたし、昔の国際電話をかけるややこしい手順というのも記憶にあるのですが、それはあらためて。

いいなと思ったら応援しよう!