日立のMSX参入 - MB-H1/H1E/H2
1980年にベーシックマスターレベル3(MB-6890)[約30万円]をリリースして以来、スペックとしてはこれで充分と考えたのか価格を抑えたMarkII(MB-6891)[約20万円]を1982年に、さらに低価格にしたMark5(MB-6892)[約12万円]を1983年にリリースし、同じ性能で価格を下げていく戦略を採っていたのですが、価格だけでは訴求力が低下して残念なことに徐々に売上は萎んでいったようです。和製御三家の一角を占めていた日立も、その座を富士通に譲った感がありました。
日立としては価格さえ下げれば良いという考えは変えていなかったようで、さらに価格を下げるためにMSX陣営に参入することにしたのかもしれません。MSXとして1983年末に最初にリリースしたのが MB-H1で32Kのメモリと拡張スロットを2つ持つMSXとしては標準的な構成で価格は6万円とちょっとというところでした。
懐パソカタログ 日立 H1
日立から販売されたMSX初号機 H1前期バージョン
電源部分を取り外すことが出来、本体には取手も着いているという、いかにもモバイルな雰囲気を醸し出しているのですがバッテリーで動かすことが出来るわけでもなく、何のために電源を分離したのかは謎のままです。この時代はパソコンを宣伝するにはイメージキャラクターが必要ということで、このシリーズにはデビューしたての工藤夕貴さんが登用されました。フレッシュさは満点でしたがなかなか渋い選択です。
工藤夕貴
しかし各社のMSXを並べてみると価格的訴求力には弱いところがあって、1984年になった途端に必要最低限の機能に絞った廉価版であるH1Eを発売します。メモリは半分になってしまいましたが価格は5万と5千円といったところになりました。しかし、やはり人気は無かったですね。カーソル移動キーが縦に4つ並んでいることが特にゲームをやるにはとても不便で、発売から半年程度たった1984年の半ばにはカーソル移動キーをクロス配置にし、本体の色も赤を追加した改良版に置き換えられました。製品名は変わらなかったので混乱しやすいところです。
Hitachi MB-H1
迷走気味な展開はまだ続きます。さらに半年程度経った頃には、今度はカセットテープも内蔵しメモリを64Kに増やしたH2を発売します。価格は8万円ほどになりました。ようやく価格競争では売れないという方向転換が図られたのでしょうか。
Hitachi MB-H2
データレコーダを内蔵したシリーズ新機種「日立 H2」
H1/H1Eも中古マーケットにはあるようですが、多くの記事が見つかるのは、このH2の方です。
収集物の思い出【コンピュータ】:日立/MB-H2 MSX
MSX日立 H2
MZじゃあるまいし、今さらカセット内蔵が売りというのもどうかと思うのですが、スピードコントロールという動作を遅く出来る謎の機能もあり、何とか独自色を出そうとはしていたようです。
日立のMSX MB-H1 MB-H2
この後、再びカセットを省略し価格を下げたH21が登場し、MSX2規格が定まると、それに合わせたH3が出るなどしていますが、その後も試行錯誤が続いた製品展開でした。
日立 MSX本体
ヘッダ画像は、月刊アスキー1984年2月号に記載されているHITACHI MB-H1の広告ページ