マイコン博物館の展示物たち その14 - いろいろなゲーム機たち
青梅にあるマイコン博物館の展示物たちの紹介も、そろそろ終わりが見えてきました。今回はいろいろなゲーム機たちを取り上げます。年末年始は忙しいと言いながら、積んであるゲームに取り組める機会です。とはいえ私はそんなにゲーム機にはハマらなかった人なので(PCゲームがメイン)、あまり詳しくないので、間違いを見つけたらやさしく教えて下さいね。
最初のテレビゲームは1970年代後半に登場しました。本当に最初の頃はたったひとつのゲームをモノクロ画面でプレイするだけのものでしたが、それでは飽きてしまうのですぐにいくつかのゲームが遊べてカラー画面が出せるものが多くの会社から登場しました。古くなって売れなくなった頃に初期のモデルを手に入れて分解してみた覚えがあります。大部分が普通のTTLでしたがビデオ出力を作る回路に感動した記憶があります。
そしてご存知、インベーダーゲームの大流行がありました。大人たちはそれこそパソコンが買えるのではないかと思うくらい課金していたようですが、当時、中学生の私にとってはそんなことはできません。方眼紙を用意してパターンを記録し、何ドット横移動したら下がるかなどをメモして、いつかは自分で作ってやるぞと固く誓ったものです。そして友人の持っていたバリーアーケードのBASICでコードを組んだものの、悲惨な動作速度に落胆し、結局、APPLE][を手に入れて自分で作ること無く遊べるようになってしまいました。こうしてパソコンの道に進んだのですが、APPLEを買ったお店はアーケードゲームも取り扱っていたので、今度は基板を解析するようになり、パソコンにはなかったいろいろなハード絡みのテクニックを覚えるに至りました。
そしてゲーセンに行かなくてもゲームを楽しみたいというので、お手軽な液晶ゲーム機がはやりましたね。ゲーム画面が組み込まれたゲーム機だったので、いろいろなゲームはできませんでしたが、何せお手軽でどこでも遊べたので、子どもたちには必須アイテムでした。
この頃になるとパソコンが低価格化してゲームを売っていた会社もパソコンに参入することもありました。ゲームを手軽に「作れる」ことを売りにしていたのですが、作るよりも買ってきたほうが良かったようです。
そしてROMカセットを買ってくれば新しいゲームが出来るゲーム機の世界がいよいよ始まりました。
ファミコンも発売当初はコンテンツが少なく苦戦していたような記憶があります。数年後キラーコンテンツともいうべきヒット作が出てから爆発的に売れ始めました。こうなるとパソコン向けのゲームを持っていた会社もゲーム機に参入してきました。
2025.1.3 追記
コメントでご指摘いただいて調べ直しました(ありがとうございます)。上記の写真はツインファミコンでした。PCエンジンは右奥の白い筐体です。
ツインファミコン
ゲーム&ウォッチで遊んでいた子どもたちもファミコンのゲームをやるようになりましたが、友達と一緒に遊ぶには携帯型が楽しいです。ポイントはROMを買ってくれば新しいゲームが出来ること、そして家庭向けゲーム機と類似したUIです。
いくら人気が出たとはいえ半導体の進歩は早いので同じゲーム機では後続の機種に見劣りがするようになります。そこで新機種を投入するのですが、今までのゲームが遊べなくなるのが難点です。新機種にはそれだけの魅力があるゲームがあるかが勝負です。
次なる進化は意外なところから進みました。コンテンツをROMではなくCDで販売するようになりました。低コストで大容量のメディアを活かしたゲーム機が続々と登場するようになりました。
そろそろ次の一手がわからない時代になります。もうゲーム機は充分に行き渡りましたし、テレビの周りには何台ものゲーム機が並んでいるウチも多かったかもしれません。テレビを使わない画面を模索したり、コントローラを高機能化して変化をつけたり、はたまた先祖返りのような進化も見られました。
もう画面を細かくしたり豊かなサウンドでは響かない時代になりました。どうやらポイントは通信機能だったようですが、まだケータイが普及していたとは言えない時代に通信をどう実現するかは試行錯誤でした。
そしていよいよ21世紀に入り、新しい時代が始まりました。そのアプローチは多種多様でしたが、それぞれ独自の路線を築き上げ今のゲーム機に繋がります。そして多くの会社がこの辺りで脱落したのも御存知の通り。
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