Amiga - 時代を追い越してしまった名機
1985年といえば、日本ではつくば博が開かれた年で、PCではMSXもMSX2になり、PC8001mkⅡSRやPC8801mkⅡSR、PC9801U2やVM2、MZ2500にFM77AVといった発展型のパソコンの発売ラッシュが続いていました。
パソコンの歴史1985年
家庭用パソコンの歴史~1985年発売~
アメリカでは家庭用としてはコモドール64がバク売れしている時代でした。その余波なのかゲーム機界の王者アタリが経営不振に陥り、アタリから資金を受けて開発されていた Amiga は販売チャンネルを失うことになってしまいました。そこでコモドール64の後継機が無かったコモドールが渡りに船と販売をすることに決まり、ようやく世の中に出ることになりました。
Amiga
前年にアップルからマッキントッシュがリリースされたのに刺激され、マイクロソフトから最初のウィンドウズがリリースされたのもこの年です(まったく普及しませんでしたけど)。
このAmiga、CPUには68000を使い、まだマッキントッシュはモノクロで、ウィンドウズはウィンドウが重ねられないという時代に、カラーのウィンドウシステムが使えるAmigaOSを搭載しており、最も先進的と言っても良い強力なPCでした。
伝説のコンピューターAmiga:20のトリビア
グラフィックは640✕400✕4096色中の16色(または320✕400✕4096色中の32色)が使え、強力なカスタムチップを使い専用のVRAMは持たず、ゲームなどで便利なスプライトなども搭載したものでした。メモリも標準で512K、最大で2Mという当時としては破格の量でした。同時期の16ビット機の代表であるPC9801VM2ですらVRAMを別にすると384Kが標準で最大でも640Kであったことを考えると、ワークステーション並といって良いスペックです。それが少しだけ大きめとはいえ、フルキーの下に収まってしまう筐体に入っていたのですから侮れません。
アミガ500
AMIGAの部屋
当時の日本では家庭向けはゲームなどに向くグラフィックは強いものの、コスト面からCPUの能力やメモリ搭載量が抑えられ、ビジネス向けはゲームのことなど考えておらず、どちらかというと漢字をスムーズに使えるようにすることに注力されていました。そこに割って入ったAmigaは、同じようなPCが無く、一部ではありますが熱狂的なファンに迎えられ、いろいろな場所で使われました。
みんな、ウゴウゴルーガを見てた? AMIGA 500を作る
残念なことは、この時代になるとコモドールの販売網が日本には無くなっていて、代理店も紆余曲折し、ほんの一部のショップでしか扱っておらず、殆ど見かけることができなかったことです。このPCの能力を生かしたゲームも次々と作られたのですが、本体が手に入らないので、そんな素晴らしいゲームも移植されてから、やっと楽しめるという状態でした。ポピュラスなんかはPC9801で随分とやったものです。
アメリカ生まれの16ビットゲームパソコン、コモドール『Amiga』に憧れた1980年代中盤
Amigaは、結局コモドール倒産のあおりを受けて終焉を迎えることになってしまいましたが、熱狂的なファンの思いは消えること無く、復刻版が作られたり、エミュレータの開発が続いているようです。
1980年代に一世を風靡した Amiga 500 の復刻版が2022年にリリース
ラズパイ(Raspberry Pi)+エミュレータでAmiga 500を再現!
日本ではこの2年後にX68000が登場し、ちょうどAmigaがカバーしていた分野にハマったようです。こちらの人気は皆さんも御存知の通りです。
X68000
ヘッダ画像は、以下の場所にあるものを使いました。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Amiga500_system.jpg
Bill Bertram - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=350965による