モデムとパソ通
音響カプラで通信をした話を書いたのももう随分と前になってしまいました。
ピーガーピロピロ - モデムで通信できるまでの道のり
通信というのは相手がいなければ成り立たない世界で、通信が自由化されるとさっそく既にアメリカでサービスを行っていたような会社が日本に進出したり、趣味で実験的な通信サービスを行うような個人・団体も出てきました。
パソコン通信
草の根BBS
通信が自由化されたことにより、もうカプラを使わなくてもモデムという装置を直接電話回線につなぐことができるようになり、少なくとも周囲がウルサクて文字が化けるという話は過去のものとなりました。
モデム
当時は持ち歩けるようなPCも殆ど無く家のデスクトップ機を家の電話に繋いで使うことになるのですが、ちょうど昼は大学に通い夜はアルバイトをしているという時期で、ロクに家で落ち着くことができないので、通信をしている暇が無いという状態であまり興味をもてなかったのは確かです。アルバイト先ではパソコンにべったり張り付いているので、その気になれば通信する時間はとれるのですが、職場の電話を借りるというのもなかなか難しく、それにオフィスの電話はビジネスホンなので、簡単にモデムを繋ぐというわけにもいきませんでした。
そんな中、愛読していたアスキーがパソ通を始めるというので、中の人のお知り合いも多いのでボチボチ接続して見るようになりました。まあ無料サービス時代ですし。
アスキーネット
当時、どんなモデムを使っていたかはあまり覚えていないのですが、最初は1200bpsだったことだけは覚えているので、多分PV-A1200あたりじゃなかったのかなぁ。
懐かしの通信機器「アイワ インテリジェントモデム PV-A1200」
アスキーのある青山局はまだ交換機が古くてノイズが載るなんていうのが話題になっていて、アナログ的な微調整をするためにDIPスイッチをいつもイジっていて蓋が開けっ放しだったような気もします。
まあ、まだ繋ぐのが精一杯というところで、掲示板を眺めるくらいであまり使いこなすというところまではいきませんでした。幸いUNIXは知っていたのでホスト側のエディタを使うのも慣れたもので、謎のコマンドを打つとアレアレ、これはヤバいファイルを読んでしまったかもなんていうユルい世界でした。
まだ便利な通信ソフトなんて言うものは特に無く、いわゆる端末モードであるとか端末ソフトを使っていて、電話をかけるにはキーボードから直接ATコマンドを打っていました。その頃は既にミニコンとシリアル通信で端末を使っていたので、それと比べると似たりよったりというところで違和感はありませんでしたけどね。せっかく端末ではなくてPCを使っているのだから、自分でソフトでも書いてみるかとBASICでCOMポートを叩いて決まった文字列を送出したりするコードなんか書いていたかもしれません。
何かをダウンロードするような使い方をするには1200bpsは遅すぎて、欲しいものがあれば直接、青山まで出掛けていってフロッピーに落としてくるという本末転倒な環境ではありました(ナイショの話です^^;)。
草の根通信には興味があったので軽く接続してみたりするようになったのですが、当時の草の根は回線数も少なく夜中でも話中のことも珍しくなく、ようやく繋がってもそんなに多くの人が集っているわけでも無かったので「繋がったぞ!」という満足感が精一杯で、他の場所で多くの情報を仕入れていた身としては新しい情報が得られるということもなく「ほう、ここのBBSはあのパッケージを使っているのか」というのを調べていた感じでした。
いわゆるパソ通ではなく、特定の相手とのピア・ツー・ピアで通信できたら便利だということで(自宅と職場でなど)、今度はホスト側と言うか待ち受け側の処理に挑戦したのですが、なかなか大変で、草の根が使っているサーバ向けのソフトを物色するようになりました。確かTURBO PASCALで書かれていたものが出回っていたと思うのですが、それが理由でTURBO PASCALの処理系を手に入れたこと以外は全く記憶になかったりします。ソフトの設定よりも家の電話を分岐してパソコンを待機状態にしておくほうが大変だったことは覚えています。普通の電話がかかってくると反応してしまうので怒られるんですよね。
ヘッダ画像は、マイコン博物館で見かけたモデムたち
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