『水切りコーチ』

(紹介)エンターテイメント短編小説。仕事帰りに水切りをする水切りコーチと、いくつかの工場を巡るものがたり。

(はじまり)

1、二人の友

 仕事の後にビールを買って川辺に行き、水切りをするのが楽しい。最初は五回くらい続くだけでもうれしかったが、毎日やっているうちに数えるのが面倒くさいくらい続くようになった。水切りのコーチをするようになったのもそのころからだ。

 初めての生徒は近所の子供だった。僕が水切りをしているとじっと見ている。僕が休んでいると必死になって石を川にボコボコ落としている。「おじさんが教えてやろうか、水切り」と声を掛けたら、彼はニコッと笑ったりはせず、恐がって逃げていった。また別の日に会うと、僕が石を投げるのを熱心に見ている。そして僕が休んでいる間には、水切りの練習をしている。そして思い出す。僕も子供のころは大人に気さくに声掛けられるとビビッたなあ、と。しかしその子があまりにも不器用なので「あのさあ、もっと地面に近いところで手を離してさあ、クルクルっと回転かけなよ!」とつい声を掛けたら、その子はビックリしてこちらを振り向き、裏切られたような様子で逃げていった。

 そんなことがあって、僕はその子に声をかけるのを躊躇するようになったが、たまに慎重に話しかけた。「回転が足りないよ」などの小さなアドバイスをしても、素直にうなずくだけで逃げなくなった。僕はその子の名前も知らない。今さらきけない。

 二人目の生徒は中田さんだった。「建築屋だ」と自己紹介した中田さんは、「植木屋やるのも大変だな、苦労しているよ」と呟くこともあったが、「最近パチンコ台つくっている」と教えてくれることもあり、なんの仕事をしているのかよく分からなかったが、どれもそれなりに似合う、ガテン系の風貌をしていた。

 中田さんは水切りに興味がなかった。犬の散歩で川辺を歩いているだけだった。「おれはよ、なんかぴょんぴょん跳ねるのって性に合わねえんだ。かえるとかよ」と言って、無回転の剛速球をボンと川に投げ込んだ。僕が連続した波紋を川辺に浮かべても、「まあよ、綺麗だけどよ、そんなん現場の大工に笑われるぜ」と相手にしなかった。それでも僕が持ってきたビールを中田さんと分けて飲んでいるうちにだんだんと打ち解けた。ある日奇妙に盛り上がって二人とも相当酔っぱらったときに、中田さんが言った。
「あんた、さっぱり仕事の話しないな。水切りが仕事か?」
「仕事ですか。普通ですよ。たまに出張販売があるくらいで、あんまり変化のない仕事ですよ」
「だろうな」そう言って中田さんはビールの空き缶を川に投げ込んだ。とてもうれしそうだ。「中田さんだめですよ、空き缶川に投げちゃ」「気にすんな。地球は気にしてもおれは気にしない」やれやれ、と思った僕は試みに石を持って川辺に近づき、缶に石を当てて対岸に飛ばすイメージで投げてみた。石は美しい波紋を描いたが、缶には当たらなかった。その時、後ろから猛スピードで石が飛んできて、缶に命中し、缶は対岸の草むらに飛んでいった。投げたのはもちろん中田さんだった。その日、僕と中田さんは朝まで水切りに興じた。

 実は、恋人が欲しかった。恋人をつくるには、まず誰かと打ち解けなければならない。男友だちや中田さんとはそれなりに打ち解けることができたが、僕はなかなか女性と仲良くなれなかった。一度会って終わり、あるいは最初のデートで終わりというパターンで、僕の水切りと違って、継続して会うことが続いたりはしなかった。今までの人生はずっとそうだったので、正直無力感を感じる。
「そりゃ、積極的なやつの方がトクだな」そう言うと中田さんは牛乳を飲み干して牛乳パックを川に投げた。
「俺は体力はあるけどよ、かっこいい、ってタイプじゃねえ。でもいい女房を捕まえて、今でも続いている。俺はよ、積極的っつーか、捕まえる側の人間だからな。にいちゃんは、待っている側だな。捕まえる、ってタイプじゃねえな。待ってたらそのうちイカした女が捕まえにくるからよ、ちゃんと捕まえてもらえよ。」そう言って中田さんは僕を励ましてくれた。「どうしたらちゃんと捕まえてもらえるんでしょうか?」と僕が質問したら、中田さんは苦笑して「そんなつまらん質問していると運が逃げていくぜ。考えるな。感じろ」と僕にアドバイスした。

 それ以降、考えずに感じることを自分に課した。歩きながら考え事をしそうになったら道ばたの草花を愛で、電車に乗っていて考え事をしてしまったら車窓の風景や乗客を眺めるように心がけた。できる範囲で。そうしていると自分の中でなにか原始的な宗教心が呼び覚まされてくるような気がした。雲の移ろいは美しい。風が顔にあたる。川の音が美しい。雨が顔にあたる。
 一方で、考え事をしないように自分に強いるのは当然のことながら苦しかった。呼吸が苦しいような気がした。気が合わない人だらけの合コンに紛れ込んでしまったかのようにも感じた。水切りも不調に陥った。苦しかった。ストレスを感じた。

 そんな自分を救ってくれたのは喫煙だった。かつてたばこを吸っていたころの、たばこを吸っている5分間の間、なにも考えない感触を思い出した。たばこを吸っている5分間の間はいとも簡単になにも考えないことができた。僕はまたヘビースモーカーになりつつあったが、精神的に豊かになった気さえした。

 気持ちに余裕のできた僕は、他府県の大きな河に出かけていき、水切りをした。その河の水切り愛好家に声を掛けられ、一緒に水切りに興じた。共に笑い、共に飲んだ。楽しいけど、変な感触だった。僕のホームグラウンドは、近所の大したことない川。こんな立派な河じゃない。立派な河で腕の立つ人々と水切りをしていると、幼なじみの彼女をほったらかしにして、金髪でカッコイイお姉さんと遊んでいるかのようなフワフワと落ち着かない気持ちになった。

 それに比べ、いつもの川で一人で水切りをするのはなんともいえないくらい落ち着く。無理がない。

「自己充足的だ、自分一人で満足している、って批判もありうるな」
そんな雰囲気じゃ現場の人間に嫌われるぞ、あはは、と中田さんは明るく笑った。
実際のところ、どこを訪ね回っても今のところ出口はない気がした。モグラが出てこないモグラたたきをやっているような気分だった。十数年もの間、寂しくて閉じた人生になると予言され続けることが僕の人生だった。


2、夜のランニング

 弟が私を避ける。私が仕事から家に帰ると弟はいない。「どこ行っていたの」「ちょっとランニング」
 でもたぶん嘘。小学生が毎日一時間も二時間もランニングするわけない。でもひょっとして長距離走の天才?と思うのは親ばかというか姉ばか。たぶん。
 ちょっと悪いとは思いつつ、仕事を早退して私は弟を尾行する。変なことに巻き込まれていないかと当然のことながら心配する。

 弟はコンビニで牛乳パックを買って川辺に行く。川を見ながら静かに牛乳を飲む。急に立ち上がって思い出したように100mほど疾走して戻ってくる。また静かに川を見る。それを繰り返す。控えめに言って、やはり変わった子だ。

 「よう」と男性が弟に声を掛けて二人で水切りを始める。熱心という程でもなく、ちんたらやっているという程でもない。ちょうど野球のピッチャーくらいの働き具合だ。二人は休憩してもほとんど話さない。男性はビールを飲みながらのんびりしたようすだ。

 声を掛けるかどうか悩む。しかし弟にとっては貴重な時間であるようなので、邪魔せずに私は先に家に帰る。

 相変わらず、弟は私を避ける。「毎日ランニングがんばるね、オリンピックいけるんじゃないの?応援するよ」と私は皮肉を言う。「オリンピック嫌い」と弟は呟く。「お姉ちゃんより嫌い」

 朝、一人で川辺に行って水切りをしてみる。波紋が続く。楽しい。でも虚しい。

 恋人と映画を見た後でプロデューサーの手腕の確かさについて熱弁を振るっていたら、
「大事な話があるんだ。聞いてくれるか」
「なに」
「他に好きな人ができたんだ。別れてくれないか」
ときっぱり言われた。毅然とした態度で。正義感さえ伴って。何度言われたことか、このセリフ。ふざけんな、何度も同じセリフ使うな。本当の理由を言え。女らしすぎて窮屈に感じる?舞い上がると熱弁を振るって止まらない?至極不愉快。

家に帰る途中で川辺に寄る。弟と男性が静かに水切りをしている。
「こんにちはー、弟がお世話になっておりますー、姉です」
「あ、どうも、こちらこそ弟さんにはお世話になっております」
弟は、当然というべきか、大事なテリトリーを踏みにじられた憎しみの目で私を見る。ごめんね、邪魔するのは今日だけだよ、という言葉が喉まで出かかる。でも口にしない。「ごめんね、邪魔して」と弟に言う。
私は二十何年生きてきて、言外及び言内に「邪魔だ」と思われてきた。言いたいことはわかる。でも寂しいから。邪魔されてくれてありがとう。


3、工場建設

 俺はパチンコ店ってのは、一種の工場だと思っている。みんな黙々と作業しているし、勤勉だし、玉を出すための工夫に余念がない。作業台に向かって並んでいるのもいいな。
 機械音が騒々しいのがやや難点だが、まあまあ綺麗な庭がパチンコ屋の隣にあって休憩できたらメリハリがついていいんじゃないかな。工場風のパチンコ屋、休憩用の庭園付き、これは一つの理想の場所なんじゃねえだろうか。

 みんな俺のアイデアに反対する。そんなパチンコ屋が流行るわけねえって。普通のチャラチャラしたパチンコ屋の方がマシだってな。確かに前例がねえ。

「失敗したら普通のパチンコ屋に改装すればいいだけだから、やりましょう」と満子は賛成してくれる。ありがたい。
「でも、これだけは覚えておいて。パチンコって本当は極めて真面目な行為なの。雰囲気が真面目だとその真面目さにみんな耐えられないから、おばかな内装にしているの。遊び心のある工場にしてね」と満子は俺に忠告する。

 やりたかった事業を本当に始めてみると、うまく行かないんじゃないか?とんちんかんなことをやっているんじゃないか?なんて不安に襲われる。でも俺はそんな不安をいつも乗り越えてここまで来た。今度の工場風パチンコ屋も成功させてみせる。そんなふうに気持ちを新たにして犬の散歩をしに川辺に出る。知り合いのにいちゃんとなんてことのない話をする。俺は不安や愚痴をにいちゃんに話したくなる。でもしない。そういう話はなかなかできるもんじゃない。実業家は弱みを見せちゃあいけない。

 満子は悩んでいた。「内装をどうしたらいいかわからないの。明るくて楽しい内装にしなくちゃいけないのに」俺もわからない。満子と二人で安い居酒屋に行って死ぬほど飲んだ。「やだあもう銭湯形式のパチンコ屋にするなんて。男女別々で寂しいわあ、あはは」と満子は俺のくだらない冗談に笑ってくれた。家に帰って眠っている犬を起こして満子と犬の散歩をした。近所の川で。みんな楽しかった。鉄橋に石をぶつけて遊んだ。

 次の日から満子はデザインチームと「工場と鉄道の鉄橋」というコンセプトで、タイムサービスやらポイントサービスやらよくわからんが、工場風パチンコ屋の中の梁のような部分を鉄橋に見立てて、ミニチュアの蒸気機関車を走らせ、蒸気機関車に表示されている3ケタの数字を読み取ると得する、とかいう仕組みを検討しだした。そんなん面白いんか、工場生産となんの関係があるんだ、という気持ちが俺にはあったが、俺は満子を信じた。俺はそのデザインチームの熱を信じた。満子は、そのデザインの仕事に熱中するようになってからだんだん家に帰ってこなくなったが、それでも俺は満子を信じた。

「ただいま」
「おう。家で会うのは久しぶりだな」
「私のこと許してくれる?」
「おう。犬の散歩行こうか」
俺たちは喋らなかった。犬も吠えなかった。月も綺麗じゃなかった。

 結局、工場風パチンコ屋と休憩用庭園の隣に、レトロでオーソドックスな銭湯(パチンコ利用者は割引付だ)もつくった。「レトロ」と「癒し」と「工場」をテーマに営業展開していく。これからが仕事の後半だ。

 俺は何十年か生きてきたが、正直、もっと思い通りになってもいいんじゃないかと思うことがよくある。まあそれでもなかなか思い通りにならないのが人生だ。確かに人の言う通り、俺の人生は他の人の人生に比べて教訓になる部分が少ないかもしれない。その分、仕事で、事業で、人になにかを残したい。


4、工場見学
 
 彼女が、三人目の生徒になった。彼女の弟は水切りが上手くなりたいという強い気持ちを持っていたが、彼女は水切りが上手くなってどうする?という強い疑問を持っていた。とはいえ、水切り自体は嫌いではなかったので、二人でのんびり水切りを楽しんだ。

「あの映画がすごいのはねえ、実は、実は、プロデューサーのおかげなの。どうすごいかというと……」
「いやいやあの映画がすごいのは実はあの二人の脇役のおかげだよ。つまり……」
僕たちはお互い、相手の主張が正確には理解できなかったものの、映画について楽しく話し込んだ。そのうち一緒に映画を見に行きさえしたが、それはデートというより、映画を見た後の討論を目的とした、売れない批評家がただで引き受けた仕事のようなものだった。僕は手の長い女性が好きだった。だから彼女の手がもっともっと長ければ彼女に恋したかもしれない。

 ある日、中田さんにパチンコ屋に誘われた。仕事でなんか変なパンチコ屋をつくったそうで、個人的にサービスしてくれるそうだ。僕はギャンブルには滅法弱いので少し迷ったが、彼女を誘って行くことにした。

 そのパチンコ屋は一見パチンコ屋に見えなかった。工場に見えた。品のいい工場。しかし、窓がステンドグラスになっていたりするのが普通ではない。工場なのに、人工物なのに、なぜかとても居心地がよい構図があちらこちらにある。ル・コルビジュエへのファン心が感じられた。建物の中は、人の背丈くらいまでの内装は結構普通にちゃらちゃらしている感じなのに高い天井に向かって行くにつれて本物の工場のように荘厳な雰囲気になっていく。梁には、抱き枕を分断したくらいの大きさのミニチュア蒸気機関車が走って「153」といった3桁の数字を教えて回っている。二両目の車両は「ただいまの時間のラッキーシート、××、××」と玉が出やすい席を表示していて、三両目の車両は「ただいまの時間のアンラッキーシート、××、××」と玉が出にくい席を教えてくれる。「うお、やべえ、俺だ」とアンラッキーシートにいた客が席を移る。僕はラッキーでもアンラッキーでもない席に座る。彼女は隣に座る。パチンコを打っている最中でも機関車が気になる。そのせいか玉が入らない。あっという間に負ける。彼女の席はいつのまにかラッキーシートに変わっていて非常に勝っている。僕はボーッと彼女が打つのを眺める。

 パチンコ屋に併設された銭湯は、昨今はやりの昭和のレトロな面だけを集中的に集めた銭湯に一見みえた。なんだここもダークサイド抜きの昭和か、とがっかりしかけたところ、番台のおばさんが僕につまらない昭和的な嫌みを言ってきた(もちろん演技だ。さわやかな演技)。銭湯の中もレトロですがすがしい雰囲気とともに妙に差別的な広告があったりして「とにかくダークサイド抜きの昭和は嫌だ」という強い意志を感じた。お湯は適温だった。

 庭は背の低い木で囲まれている。休憩とお喋りに適することをただただ追求した庭だ。
「どうだい、楽しんでもらえたかい?」と中田さんは訊いた。
「ええ、とても。水切りコーナーがあればもっといいのに」と僕は答えた。
中田さんの奥さんの満子さんも交えて、4人で少し話した。
「この場所の力強さや実用美は中田さんのセンスで、繊細さや居心地の良さは満子さんのセンスなんでしょうねえ」と僕はお世辞を言った。
「俺はよ、『理想の場所』って意気込みでここをつくったんだけどよ、なかなかそうはいかないな。『変わった場所』って感じだな」と中田さんは謙虚に言った。
満子さんは言った。「私には、理想の場所って別にないんです。よりよくすることだけに興味があると言うか。だから私には理想を強くもっている中田が必要なんでしょうね」
彼女は言った。「ラッキーシートはいい制度ですね。私それで今日勝ちました。なぜいいかと言うと……」
まだ本当のオープンの一週間前のプレオープンの段階だったので、僕と彼女はいろいろと正直な意見を言わせてもらってその日は別れた。

 夜一人でビールを飲みながら川で水切りをする。確かに水切り自体にはそんなに意味がないかもしれない。くやしいけど、パチンコの方が意味がある。


5、工場閉鎖

 僕の会社の工場が閉鎖された。僕は工場で働いていたわけではないけど、いろいろごたごたがあって退職することになった。

 一方で中田さんの工場風パチンコ屋はそれなりに反響を呼んで繁盛していた。庭園や銭湯ではなく、工場風建物が「この建物はあまりにも居心地がいい。くつろぐ。落ち着く。和む」と評判を呼び、一種の名建築として愛されるようになった。人々は自分の席がアンラッキーシートになったからといってせかせかと移動するようなこともなく、ただ手を休めて、三十分ほど庭で休憩し、自分の席がアンラッキーシートでなくなったのを見計らって再びパチンコに戻って行った。アンラッキーシートを知らせる蒸気機関車はせわしないという理由で撤去され、内装はより落ちつきのあるものに変えられた。音楽は昔懐かしのロックが流されるようになった。この店を毛嫌いするお客さんも少なからずいたが、この店は安定した数のリピーターを確保することに成功した。僕も日々通った。

 レトロ銭湯の番台のおばちゃんとは毎日顔を合わせるうちに話すことがなくなった。無言でお金を渡した後、おばちゃんはちょっとしてから「ごくつぶしが」と呟く。演技か本気かわからない。たいした演技だ。

 このように、水切りは僕の人生に様々なものをもたらしてくれた。

 最近、「お前の人生は寂しくて閉じたものになる」と予言される頻度が前よりずいぶん減った気がする。それも、水切りがもたらしてくれた大きなものの一つだろう。昨日、夢で水切りをした。水切りの神様もやってきて一緒に水切りをした。さすがにこてんぱんにやられてしまったが、「あんまり予言は気にすんな」と言ってくれた。これも水切りがもたらしてくれた大きなものの一つだろう。
 
(おわり)
 


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