背番号74の叫び
ミイトキーナの曇り空を、手榴弾が飛んでいく。黄色いから、連合軍のMKⅡを稲尾が投げ返したのだ。どんなに疲れ果てていても、MKⅡが敵陣のど真ん中へ飛んでいくのを見ると、ぱっと心持ちが明るくなる。俺も少しでも力にならねばと思って、塹壕に屈み、九九式のピンに指をかけた。
稲尾がいる方向から爆音が轟いたのは、その時だった。
稲尾は職業野球の選手だった。
「選手は徴兵されないやろう」
「そんなご時勢じゃなくなったんだよ」
野球もお役に立つってことを示さないと、と稲尾は笑った。良く笑う男だった。
俺達の部隊で、稲尾以上に「役立つ」兵は他にいなかった。その信じられない程の強肩で、手榴弾をキャッチしては投げ返して、仲間の命を何度も救った。俺達がせいぜい三十mしか飛ばせない手榴弾を、ゆうに百mは超えて投げてみせた。ビルマの暗澹たる道のりも、稲尾がいたから俺達は明るくいられた。
「古賀は筋がいいよ。足腰がいい。球は足で投げるものなんだ」
ある日、稲尾がそんなことを言った。
「帰ったら、一緒に野球をやろう。お前、良い選手になるよ」
「野球なんて知らん」
俺が知っているのは炭の運び方だけだ。
「教えてやるよ」
稲尾は笑って言った。ミイトキーナが包囲されてから、何度もそんな話をした。
き、い、い、いん。
耳鳴りがする。気が遠くなっていたらしい。小石がパラパラと降ってくる中、なんとか身体を起こす。大丈夫、俺は動ける。
稲尾は?
土煙上がるその場所へ、ほとんど這いながら向かう。崩れた塹壕に何度も足を絡めとられる。
石橋、林、伊藤、西田。
稲尾。
呼びかけに誰も応えない。皆に破片が突き刺さっている。
土に塗れた仲間の上に、また一つ、黄色いMKⅡが、俺をばかにするように落ちてきた。
き、い、い、いん。
耳鳴りがする。視界が妙に白っぽい。
稲尾。
振りかぶる腕、返す手首の美しさ。
何もかも遠く感じる中で、それだけが頭の中で鮮やかだ。
俺はMKⅡを拾い上げた。
【続く】