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2015年という1年間(21歳) どんどん人生が変わり前進した1年間。
【2015年という1年間】
ここは人生の分岐点であり
この1年間を振り返れば、
会社員としての仕事の仕方を
一旦辞めて正解だったと思える。
19歳、20歳の2年間で人に会いまくり
社会という景色を初めて味わった。
会社員として約40年間勤めることしか
想像の範囲内になかった自分にとって
想像の外側の世界というのは刺激的で
とてもキラキラしているように見えた。
この先どうなるかわからない。
本「小さな箱から抜け出す方法」
本「20代でやるべきこと10選」
そんな本を読み進めたり、
メンタルコーチ池田貴将さん
の講演会に毎月足を運んだり、
アンソニーロビンズの存在を知り
人生について考えるようになった。
このままでいいのか?
何も挑戦せずに終わるのか?
いいはずが無いですよね。
生涯安泰と家族/親戚から思われた
日本No.1の鉄鋼メーカーを退職した。
ただ心が弱い自分は勝手に辞めた。
誰にも相談せず、自分の意思で辞めた。
大手企業を高卒3年で辞める。
これは誰にも語れない人生になる。
オンリーワンな人生経験がしたかった。
なぜ?
それはきっと「その他大勢」
という枠組みに収まりたくない。
誰でも良い仕事、誰でもできる仕事、
つまりは、あなたでなくても大丈夫!
という仕事や生き方をしたくなかった。
★☆★☆★☆★☆★☆★
絶対にこの世の中のどこかには
自分を必要としてくれる人が居る。
自分にしかできないことがある。
自分がやるべき使命があるはずだ。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
その信念だけが強かった。
自分を必要とする人は誰なのか?
自分にしかできないことって何?
自分がこの世で果たす使命とは?
それら退職してから答えを探した。
【2015年1月】
人生初めての海外レース
香港マラソン。
当時加入していたランニングクラブ
アミノバリューRC兵庫 の団体ツアー
香港マラソンにて海外デビューした。
行ったことのないところに行きたい!
見たことのない景色を見てみたい!
好奇心が勝った。
【2015年3月】
ランニングチーム神戸AC創設。
(当時は神戸アスリートの会)
21歳3ヶ月でチームを立ち上げ。
現在にも続く柱の活動である。
【2015年4月】
3/31付で大手企業を退職した。
入社日は4/2付だったみたいで
1日足らず、退職金はゼロ円。
辞めてから初めて知った事実。
収入はないけど、税金の支払いがあり
退職時の貯金 約100万円は、
あっという間に無くなった。
この世で生きる大変さを初めて知った。
けど上司や同僚の悪口、陰口、裏口、
悪の汁を吸う必要が無くなったのは
安心感、安堵感も同時に感じ取れた。
(※数年先でそれらを受け止め「私が変わります!」宣言をし、行動を変えることが大切であることに気づきましたが、当時21歳の私にはそんな境地は無く、逃避することで問題解決すると思っていました)
【2015年5月】
嬉しい声掛けがあった。
宮川大助・花子さんが作る
ランニングチームで大会を盛り上げ
ランニングで東北震災復興支援をする!
そして大助さん地元である山陰地方にも
足を運んで、地域社会貢献をする!!
というプロジェクトに参入した。
大手企業退職に向けて
社内では悪口、陰口、裏口が
自分の耳にも届くくらい聞こえて
居場所が無くなり、ストレスMAXで
暴食したことで体重が増えていた。
ほんまに走る人なのか??
むちむちな自分には後から気づいた。
半信半疑だったと思う。
けど私なりに精一杯努めた。
走ることにおいて試合は全力。
けど、その他の気遣い、経験がなく
この時、どう動けば良いのか??
何一つわからず、あわあわしていた。
2015年5月。
えびす大黒ウルトラマラソン
100km駅伝の部 に出場した。
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【2015年6月】
次は岩手県で開催
いわて銀河ウルトラマラソン
100km駅伝の部 に出場した。
第1区を任され全力で走った。
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【2015年7月①】
全日本トライアスロン皆生大会大会の存在を初めて知った。トライアスロンに興味を持った。自分も出たい!
まだ自転車を持ってなかったけども。
水泳は溺れる経験しかないけども。
ここが私と皆生の出逢い。
吉本のチームで出場されていて
ほんとに出てみたい!と思った。
(※翌年出場するために申し込みをするも、実績不足で落選。それなら実績を作るぞ!と思い、エントリーしたのが2016年11月(22歳)アイアンマン・マレーシア。)
【2015年7月②】
大阪・舞洲トライアスロン
(現:大阪城トライアスロン)
当時は舞洲で開催されていました。
初めての51.5kmのレースに出場。
ほぼ溺れていましたね 汗
水泳1.5km+自転車40km+マラソン10km
デビューは2時間51分で完走しました。
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【2015年8月】
第33回ニューカレドニア国際マラソン
2度目の海外レース。
結果は年代別ヤングの部 優勝。
無理だとわかっていても
先頭集団に付いていこう!!
覚悟を決めてエリック・ワイナイナ
率いる先頭集団を追い駆けて走り、
そして大失速。
天国に一番近い島!と言われる
ニューカレドニアという島は
フランス領土ということもあり
当時はフランスで今世紀最大級
大規模ストライキ中だったそうで
ニューカレドニアも同じくストライキ。
交通機関がSTOP、レースの邪魔したり
混乱の最中でもありました。
それでも走れたことに感謝ですね。
日本では報道されていないことでも
海外に出ると初めて味わう空気感や
価値観、事件があることを知った。
日本の報道がすべてではないこと。
真実は自分の目で見て体験しないと
わからないということを知った。
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【2015年9月】
名古屋ドーム・リレーマラソン
自分が覚醒した日でもあります。
当時100kmマラソン世界記録保持者
砂田さんとご一緒させて頂き、
楽屋でミニランレッスンを受けた。
時間的には15分程。
砂田さんの理論をすぐに実践した。
すると、ビックリするくらい走れた。
ハマる感覚。こんなに前に進むの!?
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【2015年10月①】
兵庫秋季陸上競技記録会
4年ぶりの陸連登録をして
4年ぶりに出場する想い出の大会。
神戸ACでは当時最年長であり
自分が結果を出して背中を見せる!
でなければ、若い子が伸びてこない。
覚悟を決めて走ったレースでした。
そして5000m走15分49秒でゴール。
超薄底、No反発シューズでの達成。
砂田さん理論の凄さも同時に感じた。
明らかにあのアドバイスを聞いてから
身体が違う。
【2015年10月②】
鬼太郎カップ境港駅伝
高校駅伝と同じ距離設定で
7人でタスキを繋ぐ駅伝大会。
自分は2区3kmという区間を走った。
いけて9分40秒と予想していたのが
結果的に9分21秒程で走れた。
【2015年11月①】
人生3回目の海外レース。
(今年3回目の海外レース)
グアム・ココハーフマラソン
駅伝の部 (5km×4人)に出場。
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【2015年11月②】
第5回神戸マラソン
4年連続4回目の出場。
シューズはアシックス社
ターサージール4 で走った。
この時、吉本のチーム事情は
段々足の速い選手が加入していて
自分の立場が無くなりつつあった。
もっとみんなと一緒に走りたい!!
それには最低限、結果を出さなきゃ!
当時の福岡国際マラソン出場基準
2時間40分切りというのは憧れで、
何度も挑戦して失敗してきていた。
今日切れなきゃ退団決定の覚悟で
めちゃめちゃ苦しい領域を耐え抜き
結果は、2時間39分51秒!!!??
ギリギリ間に合った。
一瞬でも気を許せない状況は
ほんとに苦しかったけども。
あの苦しさを乗り越えられた。
この先の人生において自信になった。
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【2015年12月】
人生4回目の海外レース。
(今年4回行ってるやん!!)
米国・ホノルルマラソン に初出場。
会社員なら不可能だったかもしれない。
初めてのホノルルにテンションが上がり
舞い上がり、冷静さを失っていた試合は
3時間21分でゴールし、フラフラ。
どこまで失速するねーん!ってくらい
足が痛くて、お腹も痛くて。
折り返し自分が38km地点で
反対側は13km地点だったかな。
高石ともや さんと出逢えたのは
嬉しかったです。
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ホノルル初めてだったので
スカイダイビングもやりました!
【まとめ】
本当に出逢いと共に
素敵な1年を過ごせた。
関わってくださった皆様には
感謝しかないです。
すべての出逢いに意味があって
すべての経験が今の自分に繋がり
きっと未来に繋がるんだと思います。
多くの経験を積ませてくださった
宮川大助・花子さん、吉本の皆様、
縁を繋いでくださった宮里さん。
これらの人生経験を生かしながら
世のため、人のために貢献します。
人のお役に立つ人生を歩みます。
全ての人は救えないのは知っています。
けど、手が届く範囲は広げられます。
可能な限り、この身が朽ち果てるまで
私の場合は献血や骨髄バンクを通じて
生きる大切さ、世に人に貢献する価値を
広め、伝え、行動を続けていきます。
患者さんやそのご家族の希望になれますように、今を生きる人々の希望になれますように。将来夢を見る若者の勇気となれますように。
自分が無知なために、たくさんのご迷惑も掛け、たくさんの失敗を繰り返してきたのも事実。人生振り返った時、それらを越えるくらい、人に世に貢献していたい。これからも頑張ります。
to be continue . . .
松井一矢