「福田平八郎×琳派」山種美術館 色彩と構図の妙 そして秋の武蔵野への誘い
今年の春、大阪中之島美術館で開催されていた「没後50年記念 福田平八郎展」を訪れて以来、同氏のにわかファンな私です。
その為、馴染みの山種美術館で福田平八郎さんの展覧会が開催されていると知った前回の訪問(↓)以来、楽しみにしておりました。
会期は12月8日までと比較的長めですので、山に向かえぬ雨の週末が訪れたらと考えていたら、早々にその日がやってきたのでした。会津の北の山の紅葉も楽しみにしていたので幸か不幸かは決めかねるところではありますけれど。
メインビジュアルはポスターにある通り福田平八郎さんの「筍」と坂井抱一さんの「秋草鶉図」。そう、今回の展覧会のもう一方の主題は琳派。その他に、山種美術館所蔵の近代画家の作品のうち、秋から冬にかけての季節が表された作品が展示されています。
尚、この美術館では多いのですが、一作品を除いては写真撮影禁止。
最近パターン化しつつありますが、展示された作品の中から特に私の中で強い印象の残っている作品をピックアップして、素人の感想を述べていきます。多分に自身の備忘録的な様相ではあるものの、どなたかが実際に美術館を訪れられて作品を目にされるきっかけになれば幸いです。
福田平八郎 氏作 「筍(たけのこ)」
今回の展覧会のメインビジュアルになっている作品。入ってすぐ、一番に目に入る場所に展示されています。想像していたよりも物理的に大きな存在感のある作品。
白いデフォルメされた竹の落ち葉の中に立つ、大人になりかけの筍二本。それが描かれただけのシンプルな作品ですが、強くはないものの静かに余韻を持って心に印象が残っています。
同氏の作品では独特の色彩で描かれた竹の絵のイメージが強く、今回の作品群の中に、そこまで強調された色調ではないものの「竹」の作品は展示されています。しかし今回の作品は色彩はよく竹藪の中で私の目にも映るそのままの筍の色。それなのにどうしてこんなに惹きつけるのか。それは単色で描かれた竹の葉の背景にあるのかもしれません。印象としては、和室の襖に使われる雲母で型押しされた唐紙のような。
前回の展覧会の図録ではおそらく見落としていたのでしょうけれど、同氏は自身の作品の特徴を「写実を基本にした装飾画」と表現されているとのこと。なるほど、この装飾画という個性が、この竹の葉の背景に現れているように思います。
絵を見るときは、まずは解説などは読まずに心に感じるままに鑑賞するのを好む私。Feel first, Lern laterですね。今回も一作品だけではなく一通り作品を観て回って、印象に残った作品数点のところに戻って耽溺するというスタイルで鑑賞。この戻って耽溺する際に、絵の横に書かれた作者自身による説明を読むと、写実としては、筍と赫土(あかつち)だけだったところに、なんとなく寂しかったので竹の葉を描かれたのだとか。そのなんとなくが無ければ、このような涼やかで心地よい余韻を持った印象は感じなかったと思います。この辺りが私が福田氏の作品に惹かれる理由なのかもしれません。全ての作品というわけではありませんけれど。
福田平八郎 氏作 「桐双雀」
タイトルの通り、無地の背景に描かれた霧の身と雀二匹です。
こう書くと、何の魅力も無いようですが、これも穏やかにしみじみと心に沁みます。穏やかで平和な作品。しかし決して退屈では無い。
何なのでしょう?その具象に過ぎない優しい表現だけではなく、構図なのでしょうね。先週訪れた展覧会の中で、斎藤清さんは度々「構図だ」と述べられていましたけれど。
福田平八郎 氏作 「彩秋」
唯一写真撮影が許された作品です。しかし、本格的な(?)カメラはダメで、紹介目的のスマホやタブレットの写真だけにしてねとのこと。スマホで撮ってnoteにご紹介しましたので、美術館のご要望に少しでも応えられましたでしょうか?
この作品、まさに前述の「竹」の表現で使われていた、作者の大きな特徴ともなっている色彩。大阪中之島美術館で展示されていた多くの竹の作品では、この照り葉のような色で表現されていました。曰く、よく使われる薄緑のような色に、ご自身には竹の色が見えないとのことでした。その竹の作品で感じたのと同様、精細に分解して頭で考えてみると奇抜な色が使われているように見えて、作品に対してみると、目の前に実際の照り葉があるかのように抽象を全く感じさせない。不思議です。この作品もまた、背景空間の下で揺れるススキの穂が絶妙な構図を為しているように感じます。
福田平八郎 氏作 「彩秋遊鶯」
おそらく作者の絶筆となったと思われている作品で感性はしていません。
しかし画面全体を使ったまさに構図と色彩。
完成しておらずともしばし作品の前から離れずに耽溺するに至った魅惑的な作品でした。
酒井抱一 氏作 「秋草鶉図」
背景に大きな月。満月ではなく十二夜程度でしょうか。しかし煌々と世界を照らす。その世界の季節は秋。
場所は武蔵野でしょうか?すすきの穂が優美に、女郎花と共に揺れている。
その足元には五羽の鶉が食事に忙しい。
愛嬌があるように見えて、しかし近寄りがたい気高い品位もある空間。これが酒井抱一氏を紹介される際によく使われる瀟洒や洒脱ということなのでしょうか?
とても惹かれる作品。耽美と言うにふさわしい惑溺。
同氏の作品の中でも特に好きなのは、過日に東京国立博物館で紹介されていた「月に秋草図屏風」。夏目漱石さんの「門」にも登場する作品。
そう言えば、以前にその作品を鑑賞した時の感想もnoteに残していました。
あちらの作品は、その作品世界に入り込むと息苦しいほどの緊張感も伴っていますが、こちらの鶉図はもう少し大らかに、ゆっくりと息をしながら鑑賞できます。しかしくだけ過ぎることは作品には失礼。そんなことを感じさせる作品でした。
その反対側に飾られている掛け軸の「秋草図」も涼やか風と虫の音を感じる素敵な作品でした。
菱田春草 氏作 「月四題のうち「秋」」
第二展示室に飾られている掛け軸。
明るい望月を背にした葡萄の実と蔓。
墨をぼかして描かれた葡萄の実と葉、蔓に、その大胆な構図と相まって作品の前から離れさせてくれません。何故、虫喰った葉がこんなにも美しく見えるのだろう。
上記作品群の他、かの名作「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」を想起させる本阿弥光悦さんと俵屋宗達さんのコラボ、「四季草花下絵和歌短冊帖」。そういえば、あの名作を鑑賞できたのは今年の一月でした。
随分時間が経ったような心地がします。
また、他にも小林古径 氏作「秌采(しゅうさい)」の構図、正井和行 氏作「庭」で描かれた銀沙壇など、小規模ながら見所が多い深みのある展覧会でした。
二度めぐって、一度1階に戻ってお茶をいただき、再び戻って好きな作品の世界にのめり込んだほど。
山も良いですが、月下に武蔵野を逍遥としたい、そんなことを思わせる素敵な展覧会。会期も長いので、是非とも訪れてみてください。
雨降る今夜は、少し集中してその空間に分け入らないと溺れてしまいそうな、藤沢周さんの「世阿弥最後の花」の世界に彷徨うこととしましょう。