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田中一村展 - 東京都美術館 その溢れる技巧と苦悩から生み出される作品に感銘

いつものことながら、素人で芸術に無知な私は、田中一村氏のことは存じ上げず、美術手帖のWebサイトでお見かけして今回の展覧会は初めて知りました。生前はほとんど評価されず、週十年前、死後にNHKが取り上げた際にブームになったのだとか。当時のテレビの影響力は凄かったのですね。我が家にはテレビはありませんが。。

今回も素人の感想文を書き連ねてみます。
結論から申しますと、074と展示番号が付された「秋色」とという作品、その作品を見られただけでも訪れた甲斐がありました。

尚、この展覧会は全作品が写真撮影禁止となっていますので、私の拙い文章のみのご紹介となります。ごめんなさい。

午後になってからの訪問となったせいか、雨模様にも関わらず上野公園は大勢の人で賑わっていました。お彼岸となってようやく涼やかに過ごしやすかったせいもあるでしょうか。
東京都美術館内も、上野公園ほどではないものの、まずまずの人出。田中一村氏は私が知らなかっただけで、上述の通り過去にテレビで紹介されたこともあり、知る人ぞ知る方なのかもしれません。本当に無知ですみません。
こんな素人の感想文でもどなたか美術館に実際に足を運ばれるきっかけになれば。

展示としては、他の展覧会と同様に、作者の若い頃の作品から年齢に沿って順番に展示されています。その最初の作品が6歳〜8歳頃のものというのがまずは驚きでした。それが、年齢が記載されていなければ、そんな幼少の頃の作品とは分からない見事さ。大混雑というほどでは無いものの、絵の前に行列ができていてゆっくりと進みながら見る形となりましたが、この幼少の頃の作品を一つ一つゆっくり愛でることができてかえって良かった。
これはこの先どんな作品群が見られるのか?と期待が高まります。
しかし、その後、18歳頃の作品から南画の作品が並べられているのですが、どうも私には良さが分からない。おそらく見る人が見ればその技巧の高さなど注目すべき点があるのでしょうけれど、なぜか私は惹きつけられない。南画が嫌いというわけでは無いのですけれどね。まぁ、素人の戯言です。それで、その辺りの作品は流し見をして、遠目に惹かれる作品の前に止まっては耽溺、そしてまたさらっと流し見ということを繰り返しました。
この田中一村という方、幼少の頃の作品からも明らかなように、技巧はすばらしいものをお持ちで、書きたいと思えばどんな絵でも現出できる方なのだと思います。ただ、作風と言いますか、スタイルと言いますか、消費者は本当に欲しいものを知らないと信じる製品を世に送り出したスティーブ・ジョブズ時代のアップルなどとは異なり、市場動向を探りながらそれに合わせて迷走する日本の家電メーカーのような、そんな印象を持ってしまいました。ピカソのように時代毎に作風が変わる方はよくいらっしゃると思いますが、それとも異なるように思うのです。繰り返しになりますが、素人の戯言です。
そんな中、私の心を捉えて離さなかったのが、上述の「秋色」という作品

「秋色」 074
縦長の画面に紅葉した草木が描かれた作品です。
タイトル写真の真ん中の絵葉書の作品です。絵葉書は残念ながら作品全体ではなく、部分を切り取られたものですけれど。(作品全体が映されたクリアファイルが販売されていて買い求めました)
この作品、遠目に見ると何やらまとまりなく殺風景に見えてしまったのです。しかし近づいてみると、その作品世界の表現、空気感に、涼やかな秋の空気が肌を撫でるような心地がする、深みを感じる作品でした。地下1階の最後に展示されているこの作品。一度目にしばし堪能したのち、一通り見終わってエレベーターで再度戻ってしばらく耽溺するほど、惹きつけられた作品でした。紅葉した葉の色味、枝の表現、苔に至るまで、単に写実的なわけでは無い、自然の生命力が放たれているように感じました。
ただ、「秋色」と名付けられた同様に照り葉を描いた作品が何点かあったものの、この作品のように惹きつけられることはありませんでした。それがなぜか私には言語化ができないのですけれど。それで区別するために074番の「秋色」ですよと念の為に付記しています。

この作品ほどでは無いものの、惹きつけられてやまない作品が幾つかかありましたので、以下に列記してみます。

「椿図屏風」
その名の通り、椿の屏風絵です。
私が大好きな速水御舟氏作「名樹散椿」を想起させる見事な作品です。
技巧という点では、この方の手にかかれば簡単にこのような作品も描けるのでしょうね。恐ろしい。
全体の構図や葉の色表現などで、「名樹散椿」ほど耽溺するという訳では無いのですが、一通り巡ったのちに、再度作品の前でその作品を堪能した作品の一つでした。

「白い花」 131
こちらも屏風絵。ヤマボウシと竹が画面いっぱいに溢れた魅力的な作品でした。

「春の七草図」 172、173
淡い色調で描かれた172番と墨絵のような173番が全く同じ構図で二作品並べられています。描かれる対象そのものは、草と大根ともの珍しいものではないのですが、その淡く繊細な表現に心奪われた作品でした。
恐ろしいほど全く同じ構図で描かれた二作品なのですが、墨絵調の方の173番が何やら格調高い奥行きなようなものを感じる見事さ。
残念ながら、この作品は絵葉書にはなっておらず。。
今回、惹かれない作品も多かったことと、自宅の本や図録の収容能力が限界なことから展覧会図録を買い求めなかったのですが、この作品のためだけに図録を買おうか最後まで悩んだほど。結局買わなかった代わりに、二巡目の際にずっと二作品の間を行ったり来たりしながら鑑賞しておりました。

「赤髭」
とてもシンプルな構図の絵です。
赤髭というのは鳥の種類でしょうか?岩の上に止まる鳥が描かれた作品。
その岩の表現、シンプルあるが故に、妙に広がりと奥行き、鳥の生命力を感じる作品でした。

「枇榔樹の森」
「枇榔樹の森に浅葱斑蝶」
作者を象徴するかのような奄美の自然が描かれた作品。
極彩色の作品もありますが、モノトーンのこの二作品が取り分け私の心を捉えました。
縦長の画面は、上述の「秋色」と通じるものがあります。しかし秋色の感想で述べた通り、秋色が遠目には印象が薄く、近づくとその深みに嵌っていくような作品であるのに対して、この枇榔樹の森の二作品は離れて全体像を目で続けていたい作品。大胆な枇榔樹の葉の緩やかな曲線美が画面いっぱいに広がる。
上述の「赤髭」とは対極にあるような余白が全く無い、画面から溢れ出さんばかりの生命力。悟りを開いたような清々しさも感じるその絵に心が熱くなりました。

写真撮影コーナー
残念ながら上述の枇榔樹の森の二作品ではありませんでした。
まぁ、こちらの方がフォトジェニックではありますよね。

12月1日までと会期も長いので、もう少し空いてそうな時にもう一度おとずれてみようかな。

そうそう東京都美術館と言えば、1年ほど前にエゴン・シーレ展で訪れた際に売店で買い求めた斎藤清さんの絵葉書。再び追加で買い求めました。

これらの絵葉書は斎藤清美術館のもの。同美術館をできれば会津の山を登った後に訪れたいと思いながら、実現せずにおります。昨年に飯豊山を登った際には、好みの企画展をされていなかったので見送りました。

今はまさに私好みの企画展の最中。残念ながら前後期の開催の内、前期は終わってしまいましたが、後期も是非見たい展覧会。飯豊山か磐梯山、あるいは会津駒ヶ岳辺りの登山とセットで、或いは山形の山と温泉の帰路にでも訪れたい。
そんなこと改めて思い出させてくれた東京都美術館でした。

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