見出し画像

なぜ、リハビリの仕事は離職者が多いのか

少し前にこんなものが目についた。

すると以下のような声や、批判が相次いだ。

冒頭のポストの意図はさておき、確かに療法士の離職率は高い。

資格保有者の数と現場の需要は、ほとんど一致していないように思う。すべての現場を歩いて確認したわけではないが、人手不足が深刻であることは否定できないのだ。一生懸命に取得した医療国家資格なのに、なぜこれほど離職率が高いのだろう。

それには決して良いとは言えない待遇が挙げられる。


この問題には、国自体が「リハビリの必要性」に疑問を抱いている点にある。

療法士の皆さんなら、リハ算定料制限の導入は記憶に新しいのでは。

「リハ算定料制限」とは、リハビリに一定の制限を設けて医療費を抑制しようとする改定案である。過去には(回復見込みのない患者への)際限のないリハビリを懸念した国が是正のために導入した法案と捉えることもできる。

リハビリで効果が出れば問題はない。

しかし、対象者の多くが高齢者であるため、若年層のようにADL(日常生活動作)が大幅に改善することは難しい。そこでリハビリには回数制限を設けて、限られた財源を「本当に必要なリハビリ」に集中させる方針が取られている。

その結果、療法士による利益率は下がり、給与は激減したにも関わらず、依然として煩雑な労働環境が療法士の待遇に深刻な影響を及ぼしている。

技師がMRIを1回撮影する方が短期間での収益性は高い。

残念なことに、多くの療法士が薄利多売の商品扱いされている現状では、離職を選ぶ人が多いのも無理はない。


私の経験談だが、療法士への周囲の理解不足も離職原因のひとつではないかと感じている。

ある変性疾患の患者を担当したときの話だ。

担当医から「食べられないなら教えてください」と告げられた。これは、患者ご本人が病気の進行前に「口から食べられなくなったら、そのまま逝かせてください」と意思表示をしていたためである。

私は言語聴覚士として精一杯の決意をもって対応したが、進行性疾患の末期では限界がある。それに加え、リハビリテーションが盛んではない病院では、協力体制にも限界がある。

療法士の活動はあくまで「医師の処方」の範囲内に限られ、名称独占資格としての制約を受けている。そのため、リハビリテーションへの協力を他職種に求めたとしても、職場によってはチームとしての連携が十分に発揮されない場合があるのだ。

「自分でやってほしい」「リスク見え見えですることかな」「環境設定で食べれるといっても、毎回調整なんかできないよ」

これらすべてもっともな話である。

命の最期を一任できるほど療法士は偉くはないし、その重責に見合う待遇でもなければ、そんな立場でもない。

24時間体制で患者を見守り、医学的な管理を行っているのは医師や看護師さん達であって、療法士ではない。療法士が関わるのは患者の生活のほんの一部に過ぎないのだ。

「療法士ができることなんて、ごくわずかじゃないか」

当時の私は情熱ばかりが空回りし、無知そのものだった。医療従事者はそれぞれの立場から日々患者さんに向き合っているのであって、医療の中心がリハビリテーションというわけではない。

これは個人の経験談に過ぎないが、療法士の離職に少なからず影響を与える要因ではないかと思う。


これらの経験から分かったことは、療法士が活躍できる環境は実は限られているのかも知れないということ。

リハビリテーション医療はチームプレー。リハビリ医、看護師、介護士、理学療法士、作業療法士、管理栄養士、医療ソーシャルワーカーなど、各領域のプロフェショナルが一丸となり、持てる力を尽くさなければ、理想のリハビリテーションは行えないと確信しているからだ。

長嶋茂雄の主治医が語る、リハビリに「ドクターX」が要らない理由

この引用は私の経験を思い返させる。

敷衍ふえんすれば、療法士を『チーム力』として尊重する環境こそ、療法士はその本来の力を発揮する。そのすさまじい力が世間に伝われば、冒頭のようなくだらないポストや離職は減るではないだろうか。

リハビリは「THEチーム医療」と称される分野だけに、テレビドラマ的に映える要素を多く持っていると思うのだが、なぜリハビリを題材にしたドラマはあまり見かけないのだろうか。

療法士の存在を過小評価せずに、その真価を理解できる職場環境に身を置くことが、療法士としてのキャリアを維持する秘訣ではと思うのだ。


いいなと思ったら応援しよう!