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“パンパンガール”を語る19【 上野駅地下道の戦災孤児 ~ チャリンコは自転車に非ず 】

前回の続き。男色の米兵の相手をさせられていた戦災孤児はマスコットボーイと呼ばれていた。金ちゃんの記憶では、朝霞のマスコットボーイは1人。しかし、その子とは別に、東京でマスコットボーイの“匂い”がする少年に出会っている。



上野駅地下鉄のりば前 昭和25年ごろ。足元に石畳が広がっている。金ちゃんによると、こうした石畳は朝霞にも池袋にもなかった。それだけに強く印象に残っていて、それ故に、是非とも描いておきたかったという。

画面のいちばん左、ピンクのジャンパー(柄は唐獅子)、緑のズボンの少年に注目されたい。

上野駅地下道で会った少年は…

金ちゃん) あれは母親と一緒に、浅草の実家[※1]に帰る時でした。上野駅の地下道で、母親と親しい口をきいていたお兄ちゃんから、朝霞のマスコットボーイと同じような雰囲気を感じ取ったんですよね。

━━ 上野で会った若者から?

金ちゃん) 若者っていうか少年ね。子どもだよね、私より数歳上。

━━ 子ども?

キンチャッキリ


金ちゃん) うん。当時、その子どもたちはね、「キンチャッキリ」って呼ばれてましたよね。

━━ キン…?

金ちゃん) 「キンチャッキリ」。財布…巾着切り…

━━ あっ、スリ!? 巾着の底を切って、金を取る?

金ちゃん) そうそう。

チャリンコは自転車に非ず

そういった「子どもの巾着切り」のことを「チャリンコ」って言ってたんですよ。

━━ チャリンコ?

金ちゃん) 「チャリンコ」。だから僕は、ずっと後になって「チャリンコ」っていう言葉を何かで聞いた時に、「ああ、子どものスリ」とばっかり思ったら、自転車のことだっていうから「あれえ」と思って。

━━ 僕らは、「チャリンコ」というと自転車しか思い浮かばないですけどね。

金ちゃん) 私は「チャリンコ」って聞くと、「子どものスリ」のこと。
「子どもの巾着切り」のことだと、すぐ思います。

━━ そうなんですね。

マスコットボーイの雰囲気


━━ じゃあ、要するに上野で会った少年は、「チャリンコ」グループのリーダーか何かだったんですか?

金ちゃん) はい、兄(あん)ちゃん株だったんだと思います。

ジャンパーの少年がリーダー格。そして右隣の女の子、そのまた右のしゃがんでる男の子、さらに右の、タバコを咥えたおかっぱの男の子、そしてその右の、寝転んで、やはり咥えタバコの男の子。この5人が「チャリンコ」グループを形成していた。

金ちゃん) まあ…実際はもっと仲間がいたと思うんですよね。
というのは、後から聞いたことなんだけど、「チャリンコ」は決して一人では出来なかったんですよね。

━━ あぁ…

金ちゃん) 要するに、盗ってすぐに仲間に渡す。その仲間がまた次の仲間に渡す…。3、4人で組んで、やってたみたいです。

━━ 金ちゃん、それ、あれですよ、朝ドラ『虎に翼』で同じようなシーンがありましたよ。

金ちゃん) ああ、そうですか。兄ちゃん株のジャンパーの少年は、盗み取ったものを売り捌く役目みたいだったらしいです。

━━ 実際にスリをするのは若いのに任せて…なるほど…。

で、 その子から、マスコットボーイのような雰囲気がしたわけですか?

金ちゃん) まあ、そうですね。

アメちゃんの刺繍ジャンパー

金ちゃんに、そう感じさせたのがジャンパーだった。

金ちゃん) なんだろうな、当時、日本ではとても手に入らないようなジャンパー。私らは「アメちやんの刺繍ジャンバー」って言ってましたけど…。テラテラとした、赤だのグリーンだの、キラキラ光るサテン…

━━ ああ、サテン!

金ちゃん)サテン地のジャンパーを着ていて…。
「これはアメリカ兵から貰ったもんだな」と思って、「ああ、朝霞のマスコットボーイと同じなのかな」っていうふうに思った。

当時、朝霞には、小池商店(英語名はBUSY BEE)という米兵相手の土産屋があって、刺しゅう入りのジャンパーが売られていた。柄はオーダーメード。富士山だったり、竜だったり…。いかにも日本を感じさせる柄が人気だった。
オーダメードだから当然、高い。普通の日本人には手が入らない。それを少年が着ていたから、否応も無く、目立ったのだ。

マスコットボーイは足袋屋の息子コウちゃんだった

その少年は、浅草近くの足袋屋の息子だった。
名前は、コウちゃん。
戦前、金ちゃんの母方の祖父[※2]がその店を贔屓にしていたため、母親も店に出入りしており、その関係で少年とも顔見知りだったのだ。

━━ でもコウちゃんはそういう…まあ…ちゃんとしたお店の子どもなのにどうして?

金ちゃん ) だから、家は戦災で全部…。

━━ ああ! 

金ちゃん) で、孤児に…

━━ 孤児になっちゃって、その「キンチャッキリ」の…

金ちゃん) 仲間と言うか…。まあ、自然にそうするより他、なくなりますよね。置き引きとかなんか…

━━ そういう少年たちの集まりで歩いてるところを、金ちゃんのお母さんが目撃したってことですか?

金ちゃん ) うん、上野の地下道で。まあ、お互い、分かったんでしょうね、うん。

━━ その時、金ちゃんも一緒にいたんですか?

金ちゃん)  うん。お袋は私を連れて、ちょくちょく浅草へ帰っていたんです。
これにはワケあるんですよ(笑)。
進駐軍のものを自分の実家へ、まあ…運んで…、

━━ 米兵がハニーさんにプレゼントしたものが、貸席にお裾分けみたいな形で流れてきて、それを浅草の実家に…

金ちゃん) そうそうそう。

━━ 渡していたと?

金ちゃん) まあ喜ばれた! 「いいね、ありがとう」って喜ばれた。

━━ なるほど。
じゃあ整理すると、浅草の実家に、米兵からハニーさん経由で流れてきた物を持って行く時に、金ちゃんが付いて行った。そのとき、たまたま上野の地下道で、知った顔に会った。その少年は「チャリンコ」の兄ちゃん株になっていた。で、お母さんが「あれは足袋屋の息子だ」と仰ったった?

金ちゃん) そうそう。

━━ で、その雰囲気が、金ちゃんから見ると、どうも朝霞にいたマスコットボーイと似ているなと?

金ちゃん ) うん…まあ…マスコットボーイではなかったかもしれないけども…。
ただね、米兵との関わりは、普通の子どもたちよりは「深いな」って感じましたよね。「ガム頂戴! チョコレート頂戴!」っていう少年たちよりはね。

━━ それは、どういうところに感じたんですか?

金ちゃん ) まず、着ているもんとか。さっきも言ったようにサテン地のジャンパーね。

━━ ああ、着ているものが違う?

金ちゃん) うん。それから、ちょっと綺麗で格好良かった。

━━ ああ! その辺が、ちょっと他の子どもたちとは違う?

金ちゃん ) うん。だから、確かなことじゃないけど、ズボンもグリーンっぽい、他の子と違うズボンを履かしてみたんですよね。

━━ ああ、なるほど。ちょっとおしゃれな感じでね?

金ちゃん) ええ。

朝霞で靴磨き

上野駅での出会いから数年後、足袋屋の息子コウちゃんとの縁が再び生じる。朝霞駅前で靴磨きを始めたのだ。

朝霞駅で、米兵の靴を磨く、足袋屋の息子コウちゃん。

金ちゃん) 上野で会った時は、僕はまだ小学校の1年生か2年生だったと思うんです。それで、コウちゃんが靴磨きとして朝霞に来たのは、私が小学校5年生かそこらになってからのことなんですよ。

━━ なんで、コウちゃんは朝霞に来たんですか?

金ちゃん) そのへんがね、多分、母親から聞いたんだろうけど、忘れちゃってるんですね。

えーと、池袋の靴みがきの少年たちを集めて働かせている親方みたいな者の指図で朝霞に来たんだか、あるいは、コウちゃんが自分から進んで、「朝霞で煎餅屋をやっている」[※3]って言っていたおばさんのところへ行ってみようと来たのか…はっきりしたことはわかんないんですよ。

ただ、母親が上野で会った時に、「朝霞に来たらおいで」ってなことを言っていたのは確かなんですね。

━━ なるほど、それで朝霞に来て…。

金ちゃん) でも当時ね、駅の構内で靴磨きをすることは、なかなか難しかったんですよ。要するに、駅の近辺を取り仕切っているヤクザもんとかポン引きだとか、それに、白百合会のお姉さん[※4]なんかもいて、やたら簡単に靴磨きなんかできなかったんですよね。

━━ うんうんうん。

金ちゃん) じゃあ、どうしてできるようになったかというと、たまたま、ウチが営んでいる貸席の裏手には、駅の方へ出られる通路がありまして、すぐ傍に朝霞の駅長さん[※5]の社宅があったわけですよ。

画面右。井戸があるのが駅長さんが住む社宅。周りは子どもたちの遊び場であり、パンパンガールの仕事場でもあった。右下は捨てられていたコンドームを膨らませて、風船遊びする子どもたち。

金ちゃん) それで、母親は駅長さんと親しくしていた。「じゃあ、おばさんが駅長さんに頼んでやる!」ってんで、話を通して、広場で靴磨きが出来るようになった…そういう経緯があるんですよ。

━━ コウちゃんが靴磨きをしていたのは、どの辺ですかね?

金ちゃん ) 牛乳売りが立っていたところ、ありますね、大体、あの辺です。[※6]

早朝の朝霞駅前。兵隊目当てにパンパンガールが集まり、パンパンガール目当てに牛乳屋もやってきた。そんな中を集団登校(分団通学)する、当時、小学校だった金ちゃんたち。

━━ コウちゃんは、通いで上野から来てたんですかね? それとも、しばらく朝霞に…

金ちゃん)  これね、毎日、来ていたわけじゃないんですよね。

━━ ああ、そうなんですか? たまに朝霞にふらっとやってきて、商売をしていた?

金ちゃん ) ええ。

それでね、コウちゃんがメンコ…東京のメンコを持ってきてくれたことがあるんですよ。

━━ はい。

朝霞駅近くの稲荷神社の広場が子どもたちの遊び場だった。画面中段左にメンコに興じる子どもたちが見える。

金ちゃん) 東京のメンコっていうのはね、私たちが手にする朝霞近辺で売っているメンコよりも、上等というか、肉厚なのね。田舎の子じゃないと分かんないんだけど…。

━━ はいはいはい。

金ちゃん) 極彩色の武者絵を描いた、とってもいいメンコだったんですよ。それは記憶にあるんですよ。

でも、そのメンコは珍しくって、私がそれを持って遊びに出ると、中学生に即、取られちゃったというね、珍しくって(笑)…

━━ う~ん。

金ちゃん) それから、1回だけだったかな? ウチの貸席に寄って、ご飯を食べていったことを覚えてます。

━━ あー、そうですか。

金ちゃん)  その時、「生卵は久しぶりだ」というようなことを言ったのを覚えてます。「卵かけご飯は久しぶりだ」って…。

━━ ああ、本当に美味しかったんでしょうねぇ…。

金ちゃんが、朝霞駅前で靴磨きをしているコウちゃんを見たのは3回だけ。
その後は見ていない。

金ちゃん) もしかすると、朝霞に来ていたけど、たまたま私と会わなかっただけかもしれないけど、母親が「今日もコウちゃん来たよ」みたいなことを言わなかったってことは、来なかったんだと思うんですよね。

━━ うん…

金ちゃん) コウちゃんが駅前に座っている時は、母親から「ジュース持ってってやんな」とか言われて、色々な物を持ってった記憶があるから、それがないということは、コウちゃんは朝霞には来てなかったということだと思います。

━━ なるほど…

金ちゃん) コウちゃんが「チャリンコ」から足を洗ったのかどうかもね、ちょっと気になってんだけど、分かんないんですよね。

━━ 当時ですね、朝霞の駅前には他にも靴磨きの少年…少年でないかもしれないけど、靴磨きはいたんですか?

金ちゃん ) あのね、何回か、お婆さんの靴磨きを見たことは記憶にあるんですけども、少年の靴磨きってのは、私は他に記憶はない。

━━ そのお婆さんの靴磨きは毎日のようにいたわけですか?

金ちゃん ) いえ、そのお婆さんもたまにです。

っていうのはね、当時、朝霞で靴を磨かせる日本人なんていうのは殆どいなかったんですよね。

━━ いるとすればアメリカ兵なんですよ。だけど、アメリカ兵は兵舎の中に、靴磨き専門の人間が入ってまして…。

だからまあ、商売にはならなかったと思いますよ。

━━ なるほど。

金ちゃん) とにかく朝霞のアメリカ兵は、靴をいつも綺麗にしてましたよね。

━━ それはあれですかね…基地によって、格というか、役割というか、まあ、いろいろなものが違うから…。

金ちゃん ) うん、なんかね、違うんじゃないかなと思いますよね。聞いた話によると、朝霞の第一騎兵師団[※7]っていうのは優秀な人間ばっかり集まってたそうなんです。

━━ ああ、なるほどね。

金ちゃん) マッカーサー直属の第一騎兵師団なんで、そうすると、やはり身なりもちゃんとしてなきゃいけなかったんじゃないですかね。

━━ 言ってみればエリートだった?

金ちゃん) うん、多分、そうだったんじゃないのかな。

━━ そっかぁ…。じゃあ、この絵では、兵士が来て靴を磨かせてるけど、意外とお客さんは少なくて、まあ、それもあって、もしかしたらコウちゃんは「ここじゃ商売になんねえや」ってんで、別のところに行っちゃったのかもしれませんね。

金ちゃん) そうですね…と思いますよ。

だって、当時、街のおじさんたちが革靴を履くなんていうのは、一年に一遍あるかないかだったと思いますよ。私の父親もそうでしたけども・・・。

━━ なるほどねぇ。

[※1]:金ちゃんの母親は浅草出身だった。
[※2]:その父親、つまり金ちゃんのお爺さんも浅草っ子。いなせで女性にもて、芸者を愛人にしていた。
[※3]:金ちゃんの家では、昭和23年から30年ごろまで、煎餅屋も営んでいた。
[※4]白百合会:朝霞のパンパンガールを仕切っていた組織。リーダーはゴリラの照。
[※5]:朝霞駅の駅長さんは、とても真面目な人だったそうで、朝霞の後は、池袋や浅草の駅長も務めた。
[※6]:朝霞駅前の牛乳売りの話は、第4回で紹介した。https://note.com/kazunote1016/n/n99b569381554
[※7]:アメリカ第八軍第一騎兵師団

浅草寺の「四万六千日」。ほおずき市に、母方のお爺さんに連れられて出かけた金ちゃん。お爺さんが着ている半纏の背中、「北」の文字は、火消しの「北組」から。当時は相談役のような立場。たいへんイナセで女性にもモテたという。先頭を歩くのは芸者で、お妾さんの「好太郎」。
金ちゃん家で営んでいた煎餅屋「鬼八あられ」。貸席は母親が切り盛りしたが、こちらが父が中心だった。
白百合会のリーダー「ゴリラの照」。左右は子分。絶大な権限を持っていた。

画面真ん中、柱の右横で箒と塵取りを持っているのが駅長。真面目だったが、ハニーさんたちの商売にとやかく言うことは無かったという。窮状を知っているだけに、優しく見守っていたのかもしれない。


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