RADWIMPS #5 夢番地
夢はありましたか?夢はありますか?夢はできそうですか?
これから叶える夢も、もう叶った夢も、まだ見ぬ夢も、
全部あなたという場所にあった夢そのものだったことを忘れないであげてほしい。
他人は自分で自分は他人。
どうして当たり前に過去で、当たり前に今で、当たり前に未来なの?
誰かが決めた決まりに耳を傾けてちゃ、自分を見失っちゃうよ。
未来 現在 過去
夢番地の醍醐味はなんといっても、時制の決まりから解放されないと始まらない歌詞と、同じ物事に誰かがつけた単位が出てきた事への疑問や疑いの思い。
なんで同じ【夢】なのに、例え方が変わるの?今の自分はどうしたらいいの?
時制の感覚が当たり前に、過去→現在→未来 でいたらこの疑問も生まれない話で、
当然「未来のために今がある」「現在に甘んずること勿れ」って言葉を聞いて、
腑に落とせるのも誰かが作った当たり前の中に生きてる人の話で、
違和感を感じてたら何にも腑に落ちない。なぜなら、
自分という存在が証明してる全てはなんだって言うんだろう、
現在も過去も未来も誰にも変え難い【夢】で、そこに気付けてないから、
だから【夢】を蔑ろにできるんだと。
いつか見ていた【夢】も、あれだけ追いかけてた【夢】も、叶ってしまえば目も向けられない、さらにはゴミ溜めにゴミを置き去りにするような扱いをしていないだろうか。
【夢】を産んだ自分が【夢】の帰ってくる場所を示してあげる責任があると気付かされる。
いつしかゴミ溜めにに溜めた【夢】を置き去りにして、それどころか他人の【夢】ばかりを好んでいいないいなと妬んで羨んで、息を吸って吐く、生きてるだけで幸せだったはずなのに、欲にまみれてしまった自分に気づかせてくれるのは、愛でした。
ゴミ溜めで泣いていた【夢】がまた輝けるのは、紛れもなく自分にしかできなくて、
その【夢】の中に叶えられなかった【夢】もいて、でもよく考えたら、背負う必要なんてなかった。
【夢】に目を向けれた瞬間に気づけた素晴らしさは?
自分の今は誰かにとっての夢で、誰かの今は僕の夢で、でも、
誰かの夢を叶えてるのも自分で、自分の夢を叶えてくれているのは誰かで。
だから自分は【夢】に向けて一生懸命になれるし、
誰かが一生懸命に【夢】を追う姿に心惹かれるんでしょう。
そのままの自分が1番素敵で、何も考えず楽しんで、笑って、何もかも忘れて、
生きてるだけで素晴らしいんだから。
どうして過去が過ぎて現在がきて未来がくるの?
そうじゃない。現在の自分が夢と一緒に歩んで進んでそこに生きてるから、【夢】が叶って誰かのためになっていて自分のためになっている。
【夢】の帰ってくる場所も、今の自分のいる場所こそが、(夢番地)なんだと。
時制の感覚
当然、現在の自分のした行いが過去になって、現在の自分がまだ見ぬ未来を思い描く。
本当に過去は変えられない?本当に未来はわからない?今ってどこ?
過去をどうするのも現在の自分がどうにでもできて、
思い描く未来の自分も現在の自分が作れる。ってことは、
未来にも過去にも関係なく自分はその場所に入れる。
だから夢を口にした人が夢を叶えるのは必然で、過去が美談になるのも必然。
現在(いま)の自分を愛してあげよう。
時制の感覚は簡単に外せるはず。
ありのままの自分を愛して、いま目の前にいる写鏡の誰かを愛してあげよう。
夢番地はあなた自身
答えは人それぞれ。自分だけの夢番地を見つけてあげることで、
叶えた夢もこれから出会う夢もきっと自分自身も幸せへのヒントが見つかるはず。
今が退屈になっていたり、意味がわからなくなったり、死にたかったり、
誰かが羨ましかったり、自分だけが不幸だと感じていたり、
そんな時、孤独感に苛まれている時、忘れてはいけない大切なことが(夢番地)には詰まっています。叶えた夢はあなたの元へ帰ってきたいし、誰かにとっての夢を叶えていて、誰かが立ちたかった場所にあなたは立っている。
息を吸って吐いてるだけで、いまを生きれなかった人の夢を叶えているんだよ。
今日も生きてるだけでえらいよ。
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