特別で何者でもないわたしの話 ~虎に翼を見終えて
虎に翼が終わってしまった…!!!
最初から最後まで骨太なのにどこか軽やかな作品だった。
まとまりそうなことから、たぶんゆっくり何回かに分けて記事を書いてみようと思う。
そうこうしている間に、おむすびが始まりどんどん進んでしまうと思うのだけど。。
私は、主人公・寅子の娘の優未のその後がとても好きだ。
大学院を中退した優未は、アルバイトを掛け持ちしながら「フラフラ」していて、50代になったラストでも結婚せず、好きなこと(寄生虫の研究、麻雀、着付け、刺繍、茶道、飲食店の笹竹、花江の介護…と好きなことのジャンルが幅広すぎるのがまた良い!!)を少しずつ全部仕事にしていた。
ありきたりな物語ならば、優未が娘に寅子の思い出話をする…なんて展開もあり得たはずなのに、この作品はそうはしなかった。
「わたし、何にだってなれるんだよ」と寅子に言ったときのまま、そのまま中年になっていた。
その優未の姿に、私はとっても救われた。
私は長らく正業不安に囚われていた。
「あはたは何をしている人?」と訊かれて、何も迷わず一言で「◯◯です。」と言えること、それが大人の条件だと思っていた。
◯◯に入るのは、例えば「裁判官」など具体的な職業、「●●社の社員」、あるいは「主婦」もいい。
昔、オーケストラで共演したソリストに貰った名刺の肩書きに「ピアニスト」とあり、そこだけハイライトしてあるかのように輝いて見えたことを今でも覚えている。
その割に、そのピアニストは共演した協奏曲をあまりさらっていなくて、本番で譜めくりストも付けてがっつり譜面にかじりついて弾いていた。
これなら練習で来てくれた若い音大生の方がよっぽど曲を勉強してきてくれてよいアンサンブルができてたのに。
「アマオケ舐められてんな…」と思ったものだ。
名刺をもらった飲み会で、「クラシックは集客が悪いって言われるけど、俺にはアイディアがある。ホールの客席の真ん中にサクラでいいから若い綺麗な女の子たちをずらーっと並べる。そうすると話題になるでしょ。その子たち目当てでも客が増える。その中で少しでもクラシックに興味を持つ客がいたらよくない?」などと持論を展開していて、今よりずっと男性社会に迎合しがちだった当時の私でもドン引きした覚えがある。
話が逸れた。
私は大学院を修了して企業に就職したが、3年で辞めてしまった。
それからも転職するが上手くいかずにすぐ辞めてしまうことが続いていて、そのときに抱えていた数ある不安でもいちばんの不安が正業不安だ。
「何の仕事してるの?」と聞かれたときに何も答えられない。
対価をもらえるような特別なスキルを持ち合わせていない。
名刺の肩書にかけるようなものが、私には何もない。
大人として、なんと中途半端なのだろうーー
出産した後も、これはしばらく引きずっていた。
第一子の産後に付き合っていたママ友たちは、1年後にはほとんどが復職し、疎遠になった。
仲間はみんな次のステージに進んでいるのに私だけ取り残された気がして、何かせずにはいられず、独学で保育士の資格を取った。
ママたちを集めたNPO活動に首をつっこんだこともある。
「元編集者」「元教師」「元アナウンサー」など、今は子育てに専念しているけれど、そういう「肩書」のあるママたちが講師となり開催しているワークショップに参加したこともある。
その内容がどうかよりも、「元●●」と語れる肩書も、ワークショップを開催できるような知識やスキルも、私にはないと感じて愕然とした。
今の私は、家事と子育て、在宅ワーク、障害福祉や特別支援教育の勉強、障害児親の会やPTA活動などへの参加、ドラマ鑑賞などで毎日忙しい。
「私は〇〇です」と言えるものはやっぱりないままだけれど、あちこちに興味が向いてしまう私にはこういう生活の方がなんだかんだ合っているのではないか、とようやく思えてきたところだ。
正業不安は、要するに「何者かになりたい病」の一種。
「特別」に固執して亡くなった美佐江と根は一緒なのだろう。
でも本当は、すべての人が「特別」で唯一無二なのだ。
「好きなこととやりたいことがたくさんあるの。つまりね、私は何にだってなれるんだよ。それって最高の人生でしょ。」
そう言って寅子を安心させた優未は、50代になっても変わらず、TVの向こうの私も安心させてくれた。
作品としても、日本初の女性弁護士で判事の誰からみても「特別」に見えた寅子を「特別」にせず、「時代が『特別』にしただけ」と寅子自身が言う。
この作品は、どこにでもいる普通で特別なわたしの物語だ。
今後もことあるごとに、虎に翼がわたしと共にいてくれるだろう。