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第8回/台湾の社会問題から日本の地方創生へ/楊凱茵さん

こんにちは。
今回は、私の前職でインターン生として活躍し、就職の際にも関わった楊さんです。もともと台湾の社会問題に関心が強かった彼女が日本の鉄道会社へ就職することになったきっかけとは?ぜひご一読ください。

楊凱茵さん
1996年生まれ。台湾 台中市出身。台湾大学日本文学学科卒(上智大学で交換留学)-鉄道会社

ーーー楊さんはどんな子どもだったんですか?

小さい頃はとてもおしゃべりな子どもでした。小学生の時は、授業で先生の質問にすぐ手を挙げて一番に答えていました。褒められると嬉しくて、ある意味大人の都合のいいように動かされていたのかもしれません(笑)

習い事は、水泳とかピアノとか民族ダンスとかいろいろな習い事をしていたのですが、長続きしませんでした。飽きっぽい性格だったのか、最初は楽しいと思って取り組むのですが、途中で練習がめんどうになってしまいました。

一方で、勉強は一生懸命せずとも楽しく学べて結果も出て頑張っていました。新しい知識を得ることはとても喜びに感じるので、小さい頃から勉強が好きでした。

中学生になると、カトリック系の中高一貫の私立女子校に進学しました。これが非常に保守的な学校で、休み時間の過ごし方まで細かく決められていました。お金持ちな家庭のお嬢様や過保護な親たちに出会い、普通の家庭だった自分とは違う世界に住んでいる人たちだと感じました。

台湾は社会運動が盛んで、自分も関心が高かったのですが、同級生たちは社会に関心が無く、むしろそういった「社会運動は世の中を乱すもの」くらいに思っていて、暇だからやっているんでしょというふうに言っていました。生きるためにアルバイトをしている人も全然いなかったです。みんなとにかくいわゆる「いい子」でした。でも、私と同じような家庭の出身で同じような価値観を持った同級生もいて、その人たちと仲良くなりました。

高校時代は社会問題に関心が高く、いろいろな勉強会やパレード(デモほどではなくゆるやかなもの)とかに参加していました。2014年に始まったひまわり学生運動にも積極的に関わっていました。ですが、運動が終息した後、なかなか社会は変わらないという無力感を感じてしまい、その後はそういった社会運動からは距離を置いています。募金をしたり情報は追いかけたりしていますが。

ーーー台湾大学時代はどう過ごしていたのですか?

1年生のうちは社会問題に関わるサークルに顔を出したりしたのですが、やはり無力感を感じてしまい続きませんでした。大学進学の際も政治学を学ぶことも考えましたが、社会運動に参加することを親も心配しており、好きだった日本文学を勉強できる台湾大学日本文学学科への進学を決めました。

もともと日本の文化に興味があったこともあり独学で日本語を勉強していたのですが、本格的に学んだのは大学入学してからでした。大学では、日本語の勉強が中心で、文学の勉強も表面的で、不安や不満がありました。ですが、大学3年生の時に上智大学に交換留学をしたのが、大きな転機になりました。

国文学科の授業を受けていたのですが、文学の奥深さや面白さをよく知ることができました。また、台湾では4人部屋の寮に住んでいましたが、日本で初めて一人暮らしをしたのも大きな経験でした。日本での授業についていくのは大変でしたが、それを乗り越えようと必死で頑張る中で、何かを頑張りたいという気持ちが戻ってきました。

ーーー日本就職を決めたのはやはり交換留学がきっかけですか?

そうですね。いろいろな日本就職を目指している台湾人と出会って、日本就職を勧められたこともあり、日本就職にチャレンジしようと思いました。ですが、何か強い動機があったわけでもなく、日本就職が成功する自信もなかったので、台湾でも就職活動をしたらいいか、くらいに思っていました。

偶然、夏のインターンシップでグローバル人材に特化した人材会社の台湾向けプロモーションに関わる仕事をしました。日本の人材会社で働く経験があると、ちょうど日本で働くか台湾で働くか迷っていたので、いい参考情報が得られると思ったからです。また、交換留学先だった上智大学のすぐ隣にオフィスがあったので、また行ってみたいと思ったのも理由です。

その時にシンガポールで開催されるアジア・東南アジア出身者向けの日本就職イベントがあることを知りました。シンガポールに行ってみたいという不純な目的で応募したのですが、たくさんの会社をエントリーした方が参加できる可能性があるのではないかと思い、とにかくいろいろな会社にエントリーしました。

実際に参加できることになり、企業研究をする中で、ある鉄道会社が取り組んでいる地方創生のプロジェクトに大変興味を持ちました。もともと鉄道会社というイメージしかありませんでしたが、地方のモノを都市部に運び、都市部の人間を地方に運ぶという大きなビジョンを持っており、面白いと思いました。

台湾でも地方創生のようなプロジェクトがありましたが、補助金や熱意のある個人に依存しており、持続可能性がないと感じていました。この鉄道会社の取り組みは、それと比べて持続可能かつ現実的で、しかもこういった大企業がするからこそのインパクトがあると感じてぜひ入社したいと思うようになりました。最初は全く興味がなくとりあえずエントリーしただけだったんですが(笑)

ーーー実際入社してみてどうですか?いまどんな仕事をしているんですか?

いまは都内のある駅の窓口で切符を売っています。まずは現場の仕事を知るところから始まります。そのうち乗務員とかも経験することになります。海外出身社員には、1ヶ月早めに日本での仕事に慣れるために研修がありました。それはとても楽しい時間で、いろいろなところへ連れて行ってもらえて楽しかったです。

一方で、日本人社員も入社した4月からの研修はとても辛かったです。日本の大企業の集団行動というものが最初は慣れませんでした。同じ制服で同じように行動する。総合職に対するエリート教育を行うところもなかなか慣れませんでした。そして、辛くても仕事で疲れすぎて誰かに相談しようと電話をする気力も残っていませんでした。

そこで、私がなぜ最終的に日本就職を決意したかを振り返りました。私は、日本の新卒採用の仕組みはとてもいいと感じています。私の大学時代の専攻から考えると台湾でできる仕事は事務などに限られてしまいます。ですが、日本では専攻に関わらずいろいろな仕事に挑戦できます。また、ジョブローテーションの仕組みも、就職してからもいろいろな仕事ができるのがいいと思います。また、台湾で就職した場合は、日系企業の台湾支社への就職になったかと思うのですが、やはり本社でしかできない面白い仕事があると思うんです。だからこそ日本での就職を選びました。

研修時代に感じた日本企業へのギャップで正直辞めたくなることもありましたが、なぜ日本就職をしようと思ったのかを思い返して、やっぱりこのまま頑張りたいなと思って研修を乗り切りました。いまはこの会社で頑張って、身につけられることを身につけようと思っています。

ーーー仕事面では大きな壁を乗り越えて頑張っていると思うのですが、生活面ではいかがでしょうか?

やはり就職から日本に来ているので、社外の友達がいないことが辛いですね。コロナの影響もあると思いますが、結局休みの日も会社の人と一緒にいるだけになってしまいます。もちろん、会社の人といるのも楽しいんですが、話題も会社のことだけになってしまうのでたまには社外の友達と話したいです。とはいえ、異業種交流会とかに行ってもきらきらした人たちばかりいそうで身構えてしまいますね。なかなか難しいです。

ーーー最後に、これからどうしていきたいとか目標ありますか?

ぜんぜん将来のことは想像つかないのですが、とりあえず30歳まではひとまず一生懸命働こうと思っています。あとは、卒業旅行でヨーロッパに行こうと思っていたんですがコロナでなくなってしまったのでリベンジしたいですね。日本でやってみたことや行ってみたい場所もたくさんあるので行ったことのない都道府県に行きたいですね。秋田のなまはげを見たりとか沖縄とか。あと、バリ島のような南のリゾート地にも行きたいですね。まずは、お金稼がないといけないですね(笑)

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