
サくら&りんゴ #47 孤独なリトルボーイ症候群
涙のトリガー
ホントに何が引き金になるのかわからない。
Youtubeを見ていて悲しくなった。
とてつもなく。
そこに繰り返し流れていたのは衝撃的なニュース。
しばらく行方不明だったあと、亡くなって見つかった若いアメリカ人女性の話をエキセントリックに取り上げているのである。
Missing white women syndrome(行方不明白人女性症候群)なる言葉があるらしい。
白人、女性、そしてその行方不明者が若くて美しいほど、報道が異常なまでに過熱し、世間が注目する大騒ぎとなる現象。
その女性は、現時点で行方不明になっているフィアンセとのアメリカ横断の旅をSNSに上げていて、その再生回数は億を優に超えるらしい。
死因は殺人だとわかり、本当に痛ましい事件として今も解決へ向け進行中である。
でも私の涙の引き金となったのは、その悲しい事件ではないのだ。
ニュースの後に引き続き自動で出てきたビデオのせいである。
ひとりのyoutuberが、この事件に関して一般の人々から寄せられた画像を解析していた。
本当に驚く。今や世界中の人々が探偵である。
そのビデオのひとつに、行方のわからなくなったフィアンセではないかという、何ともぼやけた画像があった。
それはアパラシアントレイルで撮ったという携帯ビデオだった。
アパラシアン。
そのひとつの言葉がきっかけで、めまいがするくらい の様々な感情があふれ出てきたのである。
アパラシアンはアメリカ大陸の東を縦に走る大山脈。そこにAppalachian trailと呼ばれる3500kmに及ぶハイキングトレイルがある。
毎年多くのハイカーが訪れるが、一体どれくらいの人が全道程を踏破しているのであろう。
その北上するハイキングトレイルの終盤近くにバモント州があった。
バモントの山あいにあるNorwichという小さな町。
そこは夫が生まれた場所。
生まれてそして捨てられたところ。
その表現が正しいかどうかわからない。
結局夫は、そこのところを生涯乗り越えることができなかったように
私には見えた。
育ての両親は、夫のあとにもうひとり女の子も養子に取っているから、子供好きで夫たちは大事に育てられたはずだ。
けれど夫はどこか精神的に自分で手に負えないところを抱えていて、後に私は夫婦関係についての心理カウンセラーに聞いたことがある。
カウンセラーは
孤児であった事、そういうことはもうとっくに乗り越えている年齢ですよ。
だから夫の苦悩は、私が勝手に思っていただけで、ほんとうのところはそう言うことではなかったのかもしれない。
それでもなぜか夫と一緒にNorwichに来るたび、私の感情の振り子が悲しみの方に振れるのである。
アパラシアンの蒼い稜線が
あまりに遠すぎたからかもしれない
そこに立っているふたりの存在をあやふやにするくらい
果てしない向こう
生まれて
誰もいなくて
誰からも愛されずに
僕はひとりだった
夫は精神的に不安定になると、そうこぼした。
小さな男の子に戻ったかのように。
そして夫の不安定さの根底にはいつも激しい怒りがあった。
小さな男の子が寂しくて愛情を欲しがっている。
そんな夫の生まれを思ってこの町に来るたび、私はもしかしたらLonely little boy syndrome(孤独なリトルボーイ症候群)を患ったのかもしれない。
私の造語だけど。
たとえばモンテソーリプリスクールのクラスを手伝っていて、ある3歳の男の子のことがあまりに愛おしくなるのである。
その子はまだ自分だけの世界にいて、ひとりでモンテソーリのワークをうまく見つけることができない。他の子どもたちの様子をぼんやり見ている。何かそこにはぼう然とした感じがあって、わたしは彼の事をほっておくことができないのである。
夫が孤児でなかったら、私たちの道はもしかしたら交わっていなかったかもしれない。
ある夏、Norwichからの帰り。
私たちはアメリカの国道89号線をカナダとのボーダーに向かって走っていた。アパラシアンを西に越してすぐの当たりだったか。トレイルから降りて来たのかハイキング姿の家族連れやカップルを見たと思う。
夫は長時間の運転に疲れていた。私たちはアメリカ側でもう一泊すればよかったのだ。あるいは私が運転を代われば。
些細なことがきっかけで言い争いが始まった。私もイライラしてそのあげく夫は激しい怒りでバンを停め、私を中から引きずりだしたのである。
絶対ひるまない私は、夫と取っ組み合いになった。
後にカウンセラーにそのことを話したら
それが原因で別れることになっていても、何の不思議もなかったですね。
なぜそうしなかったのかわからない。
でもあの時の夫の怒りは、怒りよりも激しい悲しみとして私の体に襲ってきて、私は大声で叫んだのである。
生まれた時が独りぼっちだったというなら、
あなたの人生の最後は
私がそばにいるから
そしてその通りになった。
ほんとうは夫の精神的な問題の原因は、孤児であったことより、ベトナム戦争に行ったことの方が大きかったはずである。
私がただLonely little boy syndromeにかかっていただけなのだと思う。小さな男の子を孤独に置いてはおけない。。。
ベトナムでの体験は、私がどんな風に思い描こうとしても、とても知りうる範疇ではない。
夫も話さないからわからない。
ただひとつ
夫が救護隊として乗っていたヘリの操縦士を
自殺で失くしたということだけ。
ニカラグアはどう?
夫が聞いてきた。二人で旅する場所を探していた時である。
南米に行きたいな。東南アジアのきれいな海もいいね。
そして私はそっと夫に尋ねた。
ベトナムにまた行ってみたいと思う?
No。
即答だった。
私たちの旅行計画は叶うことはなかった。
夫の病のためNorwichにも日本にも一緒に戻れなくなった。
ふたりの旅行は、夫のビジネストリップに私が付いて行ったのが、結局最後となった。
一緒に飛び立った最後の空港、オランダ・スキポールで買ったチューリップの球根は今も湖畔の家に植えられている。
アパラシアントレイルを
いつか歩いてみたい。
バモント州のエリアだけでも行くことができたら。
それが今、私が持っている憧れのひとつである。
夫と一緒に歩きたかったけれど
それはもう叶わない。
あの息をのむ美しい山々を
死ぬ前にもう一度見たい
それらを目の前にしたら
ああ、私はまた泣くかもしれない。
いや、泣くだろうなあ、きっと。
かつてのLonely Little boy、 孤独な男の子を思って
そして山に戻ったかもしれない夫の魂を思って
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