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Tribeを探して

家族や恋人と居るのに心が寂しい。そんなときは決まって、この詩の冒頭を思い出す。

だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた——
そんな気がするのだけれど

「あいたくて」工藤直子

私の中の「ぽっかり空いた穴」を埋めることはできるのか?

半世紀以上生きてみて、わかったことがある。
血がつながっていても、愛し合っていても、全てを分かり合える訳ではないし、私の中の「穴」を埋めることはできない。

自分のことを理解せず、「他人が埋めてくれない〜」と文句を言っているのでは、一生この「穴」に対処することは難しい。

自分自身をより深く理解すると、「穴」が無くなるかもしれないし、その「穴」が何なのか定義する試みができる。

私が会いたい「誰か」や「何か」は、何なのだろう?
この「穴」に何が埋まれば、満足するのだろう?
「穴」が空いていると、どういう気持ちなんだろう?

私の場合、自分理解が深まれば深まるほど、「穴」が小さくなったのか、気にならなくなった。ただ、時々、虚しく、不安定な気持ちになるので、小さいながらも「穴」はあるのかな?と思う。でも、だからと言って、解決を急いでいる訳ではない。

私の「穴」は何なのだろう?

徐々にわかってきたのは、「自分に似た仲間」と繋がりたい、という思い。それは、愛情や友情でつながる一人の誰かじゃなくて、何か自分と近い価値観や見方を持つ人々、魂のどこかが似ている感じの仲間が繋がったり、集ったりしたい、と思った。

英語で「Find your tribe」という言い方がある。

部族/Tribeとは、人類学における人間の社会組織の概念的な形態。それは、一時的または永続的な政治的統合を持ち、共通の血統、言語、文化、イデオロギーの伝統によって定義される、一連のより小さなグループ(バンドと呼ばれる)に基づく。

Online Britannica "Tribe"

「Find your community」とは、近いようで、イメージがかなり違う。

生物学におけるコミュニティとは、共通の場所にいるさまざまな種が相互作用するグループ。たとえば、動物が住み、細菌や菌類を含む土壌に根を張った木々と下草の森は、生物学的コミュニティを構成する。

Online Britannica "Community"

「tribe」は、もともと政治的組織を意味していたから、「community」よりフォーマルで重い感じ。各自が自覚をもって、貢献し、守る感じ。近所に住んでいるので親しくやっていく「community」は軽い付き合いな感じがする。

人類学的な「tribe」は、伝統、ルールを持ち、責任に縛られる感じがするが、最近使われる「Find your tribe」は、同じルール(価値観や視点)を持ち合わせた人々が、お互いを発見して、自然に集まってくる感じ。そして、それが大きな「circle/自治体」になる感じ。

また、「tribe」には、特定の誰かと友達になることではなくて、価値観や見方そのものに繋がる感じ。価値観や見方に共感する仲間たちは、世界中に散らばっていて、世界にまたがる「部族」。

それを思うと、私にとって、「穴」を埋めることに役立っている一つは、オンライン・コーチングで世界の人々と話しながら、常にSearching my tribe をできることかもしれない。年齢も、性別も、人生の環境も全く違うのに、「私と同じtribeの人だなぁ」と思えた瞬間は、本当に幸せを感じる。

Illustration by Elsa Beskow


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