authenticなのは、「がんこ」なのか?
これまでの人生において、私が自分自身に投げかけてきた質問。自分としては、authenticでありたいと思って生きてきたけど、長いこと、この言葉に対して、良し悪しが入り混じる複雑な感情を抱いていた。
authenticでいたいけど、罪悪感や周りと摩擦を生むような感じ。「自分軸」でも聞かれた、自分を主張するのは良くないとされる文化や慣習において、「頑固」や「わがまま」と受け取られるのでは?
そもそも「authentic」って、どんな意味?
□ コピーではない。本物。
□ 社会からのプレッシャーに影響されることなく、自分の行動が、自身の価値観や欲求に一致すること(実存主義哲学において)。
誰かのコピーではなく、ただ「自分であること」だと思う。言い換えると、自分に嘘をつかないとか、他人や周りのために自分を変えないとかになる。
その他大勢といる時、わかり易い。例えば、みんなが笑たって、あなたにとっておかしくなければ、笑う必要はない。みんながアイスコーヒーを注文しても、あなたはクリームソーダが飲みたければ、それでいい。
元々、器用ではないから、人や状況によって自分を変えるのは下手なのに、無意識は合わせようとする。無理して合わせ、自分を変えようとするから、訳がわからなくなる。
学生時代は、authenticであることはそんなに大変じゃなかった。好きじゃない教科はあまり勉強しなかったし、好きな教科は一生懸命勉強した。たとえそれが、就職や職業選択に役立たない教科であったとしても。
社会人になって、表面的には順応しているようでも、自分をしばしば見失い、戸惑うことに気づく。会社員とは?と常に哲学的になる。それもそのはず、企業の中の「役職」は、「役」なので何かを演じることを求められている。多くの場合、そこに「自分」という役はない。
それでも、だましだまし、与えられた「役」をやる。頑張ってやろうとして、その「役」の理想像を演じてるうちに、その姿が本当の自分かと錯覚し始める。元々、不器用で人や状況によって自分を変えるのは下手。だから、そのギャップが、どんどん大きなストレスになっていく。
さて、最初の質問。authenticであるということは、「頑固」や「わがまま」ということなのか?
否。人間は、authenticであるべきだと思う。でなければ、何のために生まれてきたのかわからない。タンポポは、タンポポとしてのこの世を生きるために生まれてきた。タンポポがタンポポでいることを、他者も不自然だとは思わない。
でも、私の間違えは、タンポポである自分をちゃんと認識していなかったこと。自分をよく知らなかったこと。
例えば、シンデレラの「役」を与えられたとする。自分の理想が背の高いシンデレラだった場合、背の高いひまわりが演じるシンデレラが最高と思いながら演じる。それでは、「役」において、authenticな自分、タンポポが表現されることはない。まず、自分自身を忘れているし、認めていない。
ぶれない「自分の軸」を持つことで、自分の真のauthenticityを維持することができるのではないだろうか?
Image by Nirav Navadia/ Unsplash
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