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SNSをデトックスするために、noteにしたのに、無意識は「スキ」や「フォロー」に翻弄されていることに気づいた。
SNSの憂鬱
これまでも何度もあったけど、この夏また急に、ソーシアル・メディア/SNSに嫌気がさした。つながっている人たちは私のtribe(部族)だと思っているし、とりわけ見せびらかしの人たちもいない。なのに急に嫌気がさした。
それは多分、Facebookで沢山「Like」をもらっている友人に、「やっぱり人に'Like'してもらうのは、気分いいよね」と言ったら、「そんなつもりで投稿してない。だって、ソーシアル・メディアからは、ほとんどお客が付かないし」と、カッコのいい「ソーシアル・メディアなんてどうだっていい」発言を聞いたからだ。
その友人以外にも、「ソーシアル・メディアなんてどうだっていい」と言う割に、やたらに投稿を繰り返す自由業の友人たちを見ていて、なんか悲しくなったからだと思う。
他人軸は甘い蜜
なんで潔く、「いやぁ、LikeやFollowに翻弄されちゃうね、やっぱり」と言えないんだろう?とことんSNSやLikeしてくれてる人たちに「自己肯定感を応援してくれて、ありがとう!」と感謝した方が良いと思った。
中途半端に、嫌っているふりで一番気にしているのがイラついた。なぜだ?
無意識層にいる「自分」がまさにその「中途半端に、嫌っているふりで一番気にしている人」だからだ。そうでなかったら、そんな友人たちは全く気にならないはず。
今朝、ハッとその事実に気づいた。
noteで私を「フォロー」してくれたり、「スキ」してくれた人たちへ
改めて、「スキ」や「フォロー」してくれて、本当にありがとうございます。やっぱり励みになるし、嬉しくなります。ここでこうして繋がれて嬉しいです。
ただ、無理はしないでください。
自分と対話して、再認識したのは、このnoteは私の走り書きジャーナルであり、私はブログを「フォロー」や「スキ」ためには、やってはいけないこと。この期待を取り除いたからこそ、このブログが続けられていること。他人軸を意識し始めたら、自分にブロックが生まれることを再び思い出した。
だから、いくら「フォロー」してくれても、自分が好きでなければ、私は「フォロー・バック」しないし、「スキ」してくれてもギリで「スキ・バック」はしません(たまにしてるかも。笑)。
ということは、私が「スキ」や「フォロー」している人たちは、私が心から興味をもって「スキ」や「フォロー」をしているということです。これは、私にとって、自分軸や自分のauthenticityを育てる上で、とっても重要なことです。
コーチィ(クライアント)の皆様へ
これは、私の公共の走り書き・考察であり、時にみなさんとシェアしたい内容があります。内容をメッセージに転記するより、参考のリンクを送る方が便利だからです。
だけど、「フォロー」や「スキ」をする必要はありません。もちろん、「スキ」してくれたら、嬉しく思います!
追伸:ソーシアル・メディアは、ジャンクフードのようなもの。自分の食生活の主食になったら、完全に体を壊す。でも、嗜好品として、自分のコントロールできる範囲で、楽しむことは、人生を豊かにするかも。だからこそ、どんな付き合い方が自分にとってベストか考えるのは、とても大事かも。