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東京生まれ、東京嫌い。「故郷」って、何だ?

私は、東京生まれ、東京育ち。

だけど、人が多い東京が、ずっと嫌いだった。
雑踏にまみれる東京を、「故郷」だなんて感じたことがなかった。
そして、私はいつも異邦人なまま。

父と母の東京

私の父と母は、東京生まれでない。

地方出身の父は長年、田舎に「故郷」があるつもりだった。だけど、食いぶち減らしに18歳で東京に追いやられたとき、既に「故郷」に彼の居場所は無くなっていた。

母は7歳の時、戦乱の中、移民した国から戻ってきたけど、日本での「故郷」を感じないまま成長した。

そんな二人が結婚して住んだのが東京。二人は、本籍を東京に据えた。そのとき、二人の「故郷」は東京になった。

そこで、生まれ育った私は、東京が「故郷」ということ?

そもそも、「故郷」って何だ?

無意識ながら、私の中に「故郷」のイメージがあったかもしれない。

「故郷」って、山や海、畑や自然がある所。昔の風景や家屋がそのままある所。親戚や古くからの知り合いが沢山いる所。ほーっと落ち着く所。そして何より、一個人の「心の基盤」のような所なのではないかと想像していた。

東京の空き地や緑には、とうの昔に住宅、ビル、駐車場になっている。実家のお隣さん一軒が無くなった後、3軒の建売が建った。

近所の商店街は、魚屋、八百屋、お肉屋、乾物屋などの商店が無くなって、ただの道路になった。実家の周りに数件あったお風呂屋さんも、全てなくなった。それ以外の馴染みの場所、ご近所も色々あったけど、神社仏閣以外、ほぼ絶滅した。

東京に、親戚は全くいないけど、両親は自分達の力で、友人や仕事の関係者を沢山築いた。でも、ほとんどみんな死んでしまった。

父と母、そして私にとっても、馴染みのはずの東京は、どんどん変わって、知らない街になっていく。築いたはずの「故郷」が変わっていく。

こんなところを「故郷」と呼べるの?

なんだかんだ言っても、長い付き合い

今日、久しぶりに東京駅で降りた。

JRのプラットフォームから、八重洲北口へ向かう。この界隈で働く人々、外国人・日本人旅行者、など相変わらずものすごい雑踏。いつもだったら、パニック障害寸前の気分になる。

ところが、今日は何かが違った。

雑踏の中にいるのに、私の呼吸が深かった。とってもリラックスしていた。それはどうしてだ?

そのちょっと前、外出先で大規模災害が起こった時、私はどうするか?って考えてた。今日のような場合、私は歩いて帰るだろう、と想像する。その時、どの方向にどの道を通って帰るか、ざっくり想像した。

山手線で、渋谷〜東京区間の東京なら、私はどこにいても、時間がかかっても、歩いて自宅に帰れる変な自信と安堵感があった。また、「まぁ、所詮、東京だからね」って、気軽に考えてる自分を知った。

これが私と東京の半世紀以上の付き合いなのか、と感じた。

「故郷」とは、「長く知ってるからこそ生まれる愛着」?

東京は「大都市で、寂しいところ」というメディアや社会がつくり上げた「都市」イメージがある。

でも、東京生まれ・東京育ちの私には、そんなイメージ全くない。近所や商店街があって、優しくお節介な人々に囲まれて育った。神社やお寺には沢山木々が生え、境内や路上で、バドミントンやドッジボールをしていた。

ただ、その空間は、休むことなく、物凄いスピードで、変わり続けている。

私が長いこと知ってる東京は、本人の意向とは関係なく、ずっと翻弄され続けている可哀想なヤツ。

東京駅にいる人々のどれだけが、私が子供の頃の東京を知っているのだろう?まるで、「故郷」に誰か押しかけてるみたいな気がした。

今日の私は拡声器を使って、この街に住んだり、訪れる全ての人々に言いたくなった。

「私の東京を汚さないで!この街を、慈しんで、楽しい時間を作ってね!」って。

フォト:今、東京大丸で開催している坂崎千春氏のペンギン画の展示販売。明日はサイン会もあるようで、お会いしたかったけど、行けません。残念。多分すごい人だから、行けなくて、ちょうど良いかも。

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