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Happy Birthday to me! 🎂日本人とお誕生日
うちの家族は、お誕生日のお祝いをしない。特にみんなが大人になってからは、お互いすっかり忘れてる。誕生日の日付を覚えていないわけではなく、「お祝いしなきゃ」という感覚がない。
子供の頃は、イチゴのショートケーキなどを親が買ってくれた記憶はある。でもそれも、「誕生日に食べるもの」みたいな感じで、お祝いというより、食べて終わりという感じだった。
もちろん、日本でも家族ごと、特に現代の家族は違うのかもしれない。私がこだわらない家族育ちのせいか、欧米の友人が自分や家族の誕生日に、とてもこだわることに、いつも違和感を感じていた。
「母から誕生日のお祝いの電話が来ないから傷ついた」とか、「家族の誕生日のお祝いをするから大変」とか、子供のためとかカップル間だけじゃなく、大人だけの家族でも楽しいだけじゃなく、色々もめてる。
誕生日って、そんなに大事なの?
私が「うちはお誕生日忘れるけど、お母さんは子供の頃どんな風に祝ってたの?」って聞いたら、母は「誕生日なんてなかったよ。だって、年の初めに家族全員そろって、歳を取っていたから」と答えた。
そもそも、戦前の日本ではそれぞれの誕生日をお祝いする習慣は、なかったのだそう。「数え年」と言って、1月1日に家族全員が歳を取っていくシステムだった。いかにも、各個人よりもグループを優先させるcollectivism /集団主義的な慣行だ。
一方、個人の誕生日を重要視するのは、いかにも個人主義の西洋文化的な慣行だ。日本で誕生日にスポットライトが当たり始めたのは、クリスマスやハロウィンみたいに商業的な戦略と相まって、戦後のことらしい。
私は誕生日でもめない代わりに、正月ではもめた。私がお正月に日本に戻らないことで、純正和風の父親が激怒したのだ。その感覚が、戦後生まれの私には長いことわからなかった。誕生日には何も言わないくせに、正月だけうるさい人だなぁ、と思っていた。
日本と欧米を十分味わった上で、冷静に戦後の日本の変遷を知っていくと、終戦前に生まれた父は完全に、「1月1日に家族全員が歳を取っていくシステム」の人だったわけだ。だから、彼にとってお正月は、新年になるだけじゃなく、家族全員が健康に歳を取れることを、家族全員でお祝いする大事な日だったのだ。
今日は私の誕生日だった。大人になってから、自分の誕生日に親のそばにいることはほとんどなかったが、今年は違う。午前中は、母の食品の買い物を手伝い、午後は父の屋上ガーデンの整理を手伝った。ランチには、買い物で買ったローストビーフを食べ、新製品のレモンサワーを飲んだ。とても良い誕生日だった。
おまけ:欧州ではどうやって自分の誕生日を祝うのか?下記のリンクをご参照。
Image of a birthday card sent by my friend