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続「自分がコントロールできることは何?」〜文化分析編

この質問は、コーチィ(クライアント)の環境や状況がままならなくて問題に直面したり、困惑した時、私がよくする質問。コーチィの多くは、状況や他人を自分の思い通りにすることは不可能で、コントロールできるのは「自分自身」だけだと直ぐに気づく。

私はこれまで、コーチィをempowering(力を与える)するために、この質問を投げかけていたが、ある日本人のコーチィは、この質問を受けた後、「わかっていたよ」という感じで、ため息をついた。その時、私は、日本のコーチィにとっては、「自分がコントロールできることは何ですか?」は、必ずしもempoweringな質問として受け取れないことに気づいた。

このコーチィにとって、この「自分をコントロールする」ってどういうことなのだろう?

実は、日本人にとって「自分をコントロールする」は珍しいことではない。逆にそれは、美徳とされてきた。「自分を律して努力する。自分が全て引き受ける・責任を取る」といった感じで。更に進むと「自分さえ我慢すれば良い。その忍耐を培う努力をする。それらができない時は自分を責める」といった考えにもなる。

これだと、私の質問「Locus of control/統制の所在」の意図から大きく外れる。私が具体的に聞きたいのは、「ままならない外的要因の真っ只中で、あなたは ”自分のパワーの源” をどこに委ねるのか?」ということだから。外界の出来事や他人によって、自分の活力が上下に影響受けるのであれば、それは ”自分のパワーの源” を外界に依存し、委ねている。

でもそれは、自分を厳しくいさめて、全部一人で引き受け、我慢し、自責しなさいということではない。外的要因が自分にパワーをくれない時、本来、自分のパワーは自分で作れることに気づいて欲しいということ。

「自分をコントロールする」ということは、自分がパワーを出せるベストでいることに責任をもつこと。

それには、 ”自分のパワーの源”を確保するために、外界との健全な境界線(boundaries)を明確にする必要がある。自分がコントロールできること、できないことを識別し、自分の心身が心地良くなくなる限界を受け入れ、必要であれば、それを他者に伝える。外界からの影響を跳ね除け、受け入れない勇気も必要になる。

その上で、初めて、 ”自分のパワーの源” を意識的に自分自身に委ね、自分に内在するパワーで最善の状況を自分自身で作り出していくことができる。

大谷選手の例だと、最も信頼し心を許していた友人からの裏切りに対するマスコミの極度の注目、チーム(仕事)への責任、等々、全てを任せていた彼の胸中を察すると、想像を絶する怒り、苛み、後悔、自責、不安が渦巻いていたと思う。

でも、現在の彼の大活躍を見ると、「Locus of control/統制の所在」が内在していることは明らかで、外界の影響に、精神的に明確な境界線を引いていることがわかる。起こってしまった事件を悔やんだり、全てを任せていた自分を責めたり、マスコミや世間の反応を恐れたりすることより、「自分がベストを出せる心地良い環境を、自分自身で整える」ことに、驚異的なフォーカスが置かれているように見える。

「自分をコントロールする」ということは、周囲や他人がどんな状況であろうと、自分が心地よくいられる状況を自分自身の責任と力で創るということ。

Image by Kazumi: My source of power "tranquility"

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