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iMacが届くまで、徒然なるままに繊細なお話。
今日はiMacが届くんです!楽しみに待っています。
ただもうお昼を過ぎて、いつ届くのかは分かりません。暑い中配達してくれる方達がいるから、こうしてのうのうとエアコンの効いた部屋で待っていられるんですから、文句を言えるわけもなく。
今まで私のメインとして頑張ってくれていたMacbookAir、もちろんこれからも使います。こうして記事を書くときや、簡単な仕事の資料作るときとか。
あと、何気にこの利用法がカッコイイと、自己満足の妄想をですが笑、テザー撮影(PCとカメラを繋いで、撮った画像をPCでその場でチェックしながら進められる)に活躍してもらおうかと思っています。
早く実業務経験を積まなければ!
思えば写ルンです
写真、いつから好きなんだろうって考えたとき、一番思い当たるのが高校生の時なんです。小さな頃の写真は、おそらく父親が撮ったであろう変なポーズしてる自分だったり、中学校ぐらいまでは、写真はいつの間にか撮られていて「自分はどこだ?」なんて探すくらいのもんでしたが。
高校で私はボート部(漕艇部)で青春時代を過ごしました。当時から上京することを決めていたので、正確にいうと途中で退部しました。アルバイトして上京資金を貯めるために。
それでも約2年間?仲間たちと苦しい練習と男女的なあれこれと、紛れもなく眩しいほどの蒼い時間でした。我が高校のボート部は、北海道では強豪校だったので、必ず全国大会や国体に出場していました。道外に「遠征」が年に数回あったわけです。それ以外でも、全道大会で札幌までとか。
チーム数十人で全道大会に行くときなんか、バスを借りて行くわけですが、もう旅行気分というか笑。大会に向けた緊張はもちろんあるんですが、旅館での非日常やワイワイガヤガヤ!仲間と過ごしてるあの純粋な楽しい時間は、もう二度とないでしょうね。だからこそ良い思い出です。
そこで活躍していたのがインスタントカメラ「写ルンです」。
別に遠征の時だけじゃないですけどね。高校生の時はよく撮ってたなぁって気がします。シャッター押すだけで、何にも考えず、撮りたい人に向けてシャッターを押すだけ。ピンボケとかそんなの、よっぽどじゃなきゃ気にしない笑。
でも、なんでしょう。
「思い出」という価値がついた数十年前の写真は、「無意味な一枚」から「青春の輝き」に変わっています。
そんな青春時代。私は映画俳優を夢見て、上京を決めていました。
卒業後上京。右も左もわからない都会でのひとり暮らし。ましてや大学進学でもないので、自分で生活していく術を身に付けなきゃいけない。アルバイト雑誌とオーディション雑誌が転がった四畳半のボロいアパートを思い出します。
高校時代から髪の色を結構変えていました。今は無き毛髪!くぅ〜💧
上京後もちょくちょく脱色や染色していました。
ヘアサロンでガッツリ髪を染めた、ある時。薬品がたまたま肌に合わなかったのか、頭皮にぶつぶつが出来ました。その時直感的に感じたことが、今に至ってるわけですが、
「このせいで髪の毛生えてこないとかないよな…?」
…残念なことに、その直感は大当たりで、前頭部の髪が明らかに細く、いわゆる薄毛状態に陥ってしまうことに。この頃若干21~22歳。
映画俳優を目指していた男が。
まだ20代前半の男が。
見るからに薄毛に。人の視線は明らかに頭を見てることも多く。
今思えば、私は鬱でした。でも、働かなきゃ生きていけないので、我慢我慢我慢我慢…数えきれない屈辱の局面に耐えながら暮らしていました。
その頃かなぁ。自分の姿を見たくなくなったのは…。
醜い姿。ひどい顔。薄い頭。なんだ俺。くそったれだな。
そんな自分の姿を写真で見るなんて耐えられず。
だから私、20〜30代の写真ってほとんどないんです。ライブ写真くらいでしょうか。ライブ写真は着飾ってますし。
こっそりと自撮り、この頃からやってましたよ。オーディション用だったり、デモテープに添付用だったり。見るたびに落ち込んでましたけどね。
カメラが好きなんて感覚、全くなかったですね。
ジャケ写のために
そんなコンプレックスにガッツリ覆われながらも、ギターや音楽に心を支えられてきました。正直にいいます。狭いボロアパートのベッドの上で天井見ながら、「このまま何もせず、じっとしてたらやがて死ねるのかな」なんて涙を流してたこともありました。
幸い、死ねるほどの度胸はなく、「アホくさ!俺を舐めるな!」という謎の逆ギレで壁を乗り越えた自負があります笑。
ときは流れ、音楽に没頭する日々。デジタルMTRによる自宅録音をして、自主制作でオリジナル音源アルバムを作っていました。最終形態はケースに入ったCD-Rです。
ジャケット写真、裏側の写真、そのデザインを考えるのも制作の一つと言いますか。結構好きですし。そのために、カメラへの興味が再び沸いてきたのが、カメラ好きが定着するキッカケだったかもしれません。
中古で買ったデジカメから始まり、何台のカメラを買ったかはすぐには思い出せませんが、画質というものにこだわりたいと感じたのは、確か出たばっかりの頃のルミックスだった気がします。フォーサーズセンサー?だったかな?
おじさんになって
ミュージシャンを目指し、挫折や悔しさを繰り返しながら10年が過ぎ。
大きな決断「諦め」をして、初めて正社員で働くようになり。
数年正社員で「社会人らしく」働いてみたものの。
「なんだ?このやる気も希望もない毎日は?」と気づき。
決して上がらない、むしろ下がる給料でのせせこましい暮らし。
感謝はしているものの、魂が空っぽの自分にサヨナラするべくして、
コロナという世界の変化がやってきて。
タイミングだ。私はそう思いました。
どの道、自分で稼ぐ方法を確立しない限り、今の暮らしをただ黙って続けるしかない。いつどうなるかわからないこの暮らしを。
だったら。もういいや!めちゃくちゃに変えてみよう。自分の暮らしを。
そう思うようになった現在、私はセルフポートレートを撮りまくっています。
誤解されないように言い訳しておきますが、今でも自分の容姿は残念だと思っています。ツルツルの変な顔です笑。
それでも別にいいやって。これが自分の顔だし。こういう運命だし。
自撮り、特に男性はあまりやらないのでは?ましてや一眼とストロボを使用して、大真面目に自撮り笑。私の場合は「練習・勉強・研究」など色んな要素で撮ってるんです。
ポーズにしたって、「じゃあ!お願いしまーす!」って言われて決めれますか?カメラのレンズというプレッシャーと向き合い、自分自身の良い角度や収まり方で撮られること、出来ますか?ちょっとした首の角度でさえ、印象が全く変わったりする。そういうことを身をもって研究してる感覚です。
そして自分がカメラマンとして誰かを写すとき。
膨大なイメージの中から、モデルさんが撮られやすい声がけが出来たら!カメラマンとしてカッコよくないですか?
ライティングだって、実際、人物(自分)が当たって実験してみて練習です。RAW現像、レタッチだって、数をこなさなきゃうまくなるはずがない。
主役は自分じゃない
俳優、ミュージシャンを目指してきたわけですから、もちろん自分自身が主役として輝きたいという気持ちでした。だからこそ、現実に苦しみました。
子供の頃、母親に「将来、どんな仕事をしたいの?」て訊ねられたとき、私は「縁の下の力持ち」そう答えたそうです。自分でもなんとなく覚えています。
それが自分が主役に!と躍起になってもがいてみた。現実はどんどん離れていった。悔しいですよ正直。だけど、早くからハゲたことで、私の運命みたいなものを諭してくれていたのかもしれません。
「人を輝かせろ」
ベクトルが自分から外れたら、自分の顔どうこうなんて、どうでもいいと言いますか。どうでもいいことはないんですが笑、磨くべきことが山ほどあるので。
おじさんになる前に、道を定めたかった気はしますが、色々やってきて悔しんで絶望して、気づいて、遠回りして。
ようやく見つかることがあるのかもしれませんし、まだまだ、途中の可能性が高い!だから、今と未来しか考えずに静かに燃えますよ。
小さなボロアパート松島荘での写真はないですが、不器用に無我夢中でレッスンやオーディションやバイトに明け暮れていた日々。もしも当時の姿が映し出された写真があったら、
「お前みたいな不器用に誠実に夢を追っかけてる奴を、カッコよく表現してやるゼィ!」
そんな思いを仕事にする、「ドリーマー」のためのクリエイターになりたい。そのためには、例えばオリジナル曲のように!写真の撮り方やレタッチの感性を「自分ならではの人の為」として腕を磨きたくてたまらない今日この頃です。
安月給の私には、決して安い買い物じゃないカメラやiMacなどなど。
それでも未来という一度きりの今を生きるには、キース・リチャーズが無言でタバコを吹かしながらニヤリと笑いかけてくれるような、
ロックンロールな心意気が必要だと信じたいものです。
まだ届かないな、iMac。笑