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通訳者と執事の微妙な関係(2)

 現代ならともかく、第二次大戦当時、執事が、仕える主人を主義主張で選ぶことは、ほぼありえなかったでしょう。スティーブンスはただ、与えられた場所で全力を尽くしただけです。

 ほとんどの場合、誰を通訳するかを選ぶことができない通訳者も、同じような状況に置かれています。

 2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻開始後、メディア各社が一斉にウクライナ情勢を報道し始めた時、多くのロシア語通訳者が昼夜問わず動員される、という異常な事態が3ヶ月ほど続きました。

 メディアの基本姿勢は、侵略者であるロシアを非難し、被害者であるウクライナに同情するもので、それ以外の見方は許されませんでした。国際世論が、視聴者がそれを求めているのであり、それ以外の見方を報道すれば、ロシアに味方するのかと激しく非難されたことでしょう。

 私が時差通訳として関わっているNHK BS1のワールドニュースでも、それまで週4日、毎日10分あったロシアTVの放送は中止となり、今に至るまで、ロシアTVの報道は、他国のメディアが同じテーマのニュースを報道した時だけ、解説員の解説をつけて、地上波の解説番組で短時間放送する、という形にとどまっています。

 当初異常な過熱が続いたウクライナ情勢報道は、3ヶ月経って戦況が膠着し、視聴者の関心が薄れた時、パタリと止みましたが、その間ずっと、ロシア語とウクライナ語の通訳者は、複雑な思いを抱いて激務を続けていました。

 ウクライナ人通訳者は、ウクライナ語とロシア語の両方の通訳をしていました。自らの母国を侵略している国の人たちの発言をくる日もくる日も通訳するという体験は、仕事とはいえ相当辛かったと思います。

 ロシア人通訳者は、母国が隣国を侵攻しているという信じ難い事実に愕然としつつ、同僚であり友人であるウクライナ人通訳者と毎日加害者として顔を合わせる、という、こちらもトラウマになりそうな体験をしていました。

 日本人の私も、侵略者であるロシア像を強調するような映像や発言ばかり訳していると、自分が悪の片棒担ぎをしているような気持ちになりました。毎日の定例記者会見で「昨日一日で、我が軍はウクライナ兵を〇〇人殺した」と報告する国防省の報道官や、「ウクライナのNATO加盟を認めれば、NATOは必ずウクライナに核配備する。ロシアは自衛のために先制攻撃せざるを得なかった」といったプーチン大統領の侵攻を正当化する発言を訳すとき、少なからずロシアの立場を代弁しているような、良心の呵責を覚えていました。

 通訳者は黒子です。ある言語から別の言語へ、言葉を変換してコミュニュケーションを成立させるのが仕事です。そこには自分の意見や価値判断の入り込む余地はないはずです。しかし他方、通訳者も人間ですから、原発言を聞いて、素晴らしいとか、酷いとか、人としての感想を持つのもまた自然なことです。

 プーチン大統領をはじめとするロシア幹部が、ウクライナの幹部や兵士を「ネオナチ」「テロリスト」と呼ぶのを通訳するのも、ウクライナ人がロシア人を「人殺し」と呼ぶのを通訳するのも、通訳者の仕事です。そんな仕事、誰もしたくはないけれど、通訳者として訳さないわけにはいきません。仕事が終わると毎回、何だか非道徳的なことをしてお金をもらっているような、とても後味の悪い気持ちになりました。「このままの状態が長期間続いても、自分は通訳者の仕事を続けられるのか? と言うより、そもそも続けたいのか?」という疑問も浮かびました。

 ロシアによるウクライナ侵攻開始以来、そんな仕事ばかり2年半以上続けてきた私には、だから、晩年のスティーブンスが感じた虚しさが、自分のことのように感じられたのです。

 スティーブンスは、自分の心情を吐露した見知らぬ男から、「人生なんて自分の思い通りにはならないものだ。全力で頑張った自分を受け入れて、晩年を楽しもう」と慰められ、執事の仕事に戻っていきます。主人はもう、ダーリントン卿ではなく、1923年にダーリントン邸で行われたあの非公式国際会議で、対独制裁解除に傾く英仏の名士たちをアマチュアだと批判してただ一人反対した、アメリカ人の富豪です。

 日々進歩するAIに加速度的に仕事を奪われつつ、もはや既成事実となり、忘れ去られたかのように思えるロシアのウクライナ侵攻下、細々と通訳を続けながら、通訳者という職業について、そして、自分の今後について考えたーーその意味で、『日の名残り』は記憶に残る作品です。

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