Door16: 色のあいまに~パリ(フランス)
元旦の朝、札幌から、実家のある旭川に向かうJRの車窓の外は、灰色の空から降り続ける雪、チャコールグレーの木立、墨絵のようにかすむ家並が延々と続き、色のない世界に来てしまったかのようだった。
モノトーンの風景を見続けている内に、思い出した感覚があった。
パリで過ごした時に感じたことだ。
パリに着いた時、それまでいたスペインの晩夏から、急に初冬の空気に変わり、空も曇っていたせいか、気持ちがワントーン沈んだ気がした。
そして、自分がバックパッカーであることが、少し嫌になってしまった。
もっと、身綺麗に、身軽に、もう少しお金も持って来たかった。
覚悟はしていたけれど、想像以上に物価が高かったので。
アジア、アフリカと金銭感覚が抑えられた上、モロッコでヨーロッパの列車のフリーチケットを盗まれ、これから続く旅の生活費に危機感を抱いていたところだったので、お金を使うことにとても臆病になっていた。
特に飲食店の値段に腰がひけてしまい、カフェですらウインドウ越しに眺めるだけで、スーパーで買ったバゲット、にんじん、トマト、フルーツ、チョコ、サラミを常備し、ワイン(は安いので)と一緒に、少しづつ齧って栄養をとる毎日を繰り返していた。
そんな状況の中、パリを楽しむには、あちこちを散歩し続けるほかなかった。
蚤の市を眺め、モンマルトルの丘に登って街を見渡し、橋を渡って、ステンドグラスの美しい教会を見に行き。
チャイナタウンで妙になごみ、点心の安さにはしゃいで、道端で頬張り。
美しい墓地をさまよい歩き、シャンゼリゼ通りの有名なお菓子屋で、場違いさを感じながら、綺麗な色のマカロンを一つだけ買って食べ歩き。
こうやって書き出してみると、結構楽しんでいるように思うけれど、当時は、なんだか毎日あてどなかった。
それでも、舞台がパリだと、貧乏は貧乏なりに、それなりの雰囲気が出るというか、味わい深さがあるような気がした。
これがもし、東京や、ヨーロッパでも違う都市だったら、更に侘しい気持ちになったように思う。
この違いはなんなんだろうと考えたけれどしばらく分からなかった。
そして、ある夕暮れから夜にかけて、友達と二人、エッフェル塔を目指し、セーヌ川沿いを散歩することにした。
パリの空は、朝明けと夕暮れ、ブルーとピンクの二層に染まる。
夕暮れの場合、その後は溶け合い、パープルがかった夜空の色に落ち着いていく。
川面を観光客船が行き交い、その波紋が街灯に反射する。
船のライトは、並木道の木の葉を照らし、その影が、通りに並ぶ大きな石造りの建物の壁に、幻燈のようにゆらめきながら映る。
昼間とは全く違うムード。
これだけきっちり夜が始まると、大人の世界が育つだろうなあと感じた。
大人の世界って何なのかはしばらく、よく分からなかったけれど。
日本だったら、もっとライトアップしたりして、この影の濃淡も消えてしまうだろうなあと思いながら、暗くなった川面に、さらに深い色の模様が揺れるのを眺めていた。
その内にふと、パリの持つ大人っぽさというのは、例えば、この川面のような黒から白の、夕暮れの空のようなブルーからピンクの、グラデーションの途中にある、曖昧な色を楽しんだり、微妙なトーンの違いを見分けてを楽しむようなことなのかもしれないと思った。
実際の色についてはもちろん、感情、状況、関係性、思想なども。
白黒が明確な状態や、ブルーだとかピンクだとか、はっきり言える状況は、実は本当に稀なことで、ほとんどは、その間にある、奥深いグレーゾーンや、青紫だとか、パープルピンクのような、微妙なトーンの途中に、漂っているはずだ。
その中にいる時は、もどかしかったり、はっきりさせたいと思ったりもするけれど、果てしない階調があるからこそ、ニュアンスが醸し出される。
パリの人達は、自然にそのことを分かって、曖昧なものを曖昧なまま楽しむことを知っているような気がした。
複雑さや面倒くささを敢えて楽しむというか。
それが独特のシニカルなユーモア感覚や大人っぽさにつながっているのかもしれない。
ふと、昔見てもさっぱり理解できなかった、いくつかのフランス映画を思い出した。
対照的に、旅の後半に行ったキューバやメキシコでは、強烈な日差しのもとにすべてが曝され、くっきりと鮮やかな原色と、影だけが際立ち、中間のトーンはすべて白く飛んでしまっていた。
そのきっぱりとした、南国特有の感覚も大好きなのだけれど。
それでも、それだけでは物足りなく感じ、ややこしい色味を味わいたくなる時もある。
逆に、白黒つかない状況(たいていのことがそうなのだけれど)に苛々しそうになった時は、グレーのない世界なんてどんなに味気ないだろうと考えるようにもなった。
微妙なトーンの中に漂うということは、人生の中で、寄り道のような、贅沢な時間なのかもしれない。
どうしたっていつかは、空の色が混ざり合い、黒くまとまっていくように、はっきりした色にたどり着くのだから。
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