kazumi
占星術にまつわる よもやま
2009年,7ヶ月で21カ国巡った旅のあいまに (web press「葉っぱの坑夫」で2012年~2014年に連載させていただきました。)
これまでのもどかしい文章を読んで,めんどくさ~と思いながらも,それでも,ちょっと面白そうかもと好奇心が湧かれたとしたら,それだけでも,西洋占星術の世界に馴染まれやすい方かもしれません。 実用的で,きっぱりとした答えや,開運法のようなアドバイスを得られやすい,中華系の占術(四柱推命や風水etc)等と比較すると,西洋占星術は,すぐ効く薬というよりは,毎日ストレッチを続けていたら「なんだか顔色良くなってきたね」と言われたり,「疲れにくくなってきたな?」と気付くような,じわじわ根元
スタートしてみたものの,どこから話していこうかしら〜としばし立ちつくしたり。 基礎を学ぶテキストなら,世に数多のすぐれた本やサイトがあるし,SNS(今のところインスタから転用している)におさまるものでもなく。 ここでは雑談を主にしていこうと思っていますが,とはいえ,占星術の仕組みについて,全く触れないままだと,話を進めるのが難しいので。 まずは,占星術の前提となる"基本のきほんのき"みたいなことを,織り交ぜながら,進めていこうかなと思います。 「なぜそうなるのか」 「(そ
3年半ほど前 西洋占星術に興味を持ち、 波はありつつも、日々少しづつ掘り進めてみたところ、メモだけでも数千ページに。 まだまだ奥の深い世界ですが、ちょっと立ち止まってみました。 占星術って?星占い?と思われる方が 多いと思うのですが。 私は、運勢や相性の吉凶を占ったり 未来を予見することには、最初からそれほど関心が持てないままで (大きな目で見たら良い悪いもないだろうし、 決められたくもないし)。 そもそも、そういうものではないのでは? とも思っていて。 遙か
トルコについて、伝えようとすると、直接目で見たものだけではなく、その奥に漂う知らないはずの時間や、人々の面影が浮かんできて、何から言葉にすればいいのか迷う内に、輪郭が、ぼやけて掴みどころがなくなってしまう。 東洋と西洋の交差点に、長い年月をかけ、様々な民族が行き交い、残していったものたち。 それらは円熟し、西も東もふわりと包み込むような、おおらかさをたたえていた。 色彩豊かな国でもあったけれど、アジアやメキシコのごったがえす原色とは違い、ほんの少しだけ色褪せた写真の中のよう
中欧から北欧にかけて旅したのが秋だったので、帰国して、札幌で秋を迎えるたびに、そのあたりのことを思い出して旅に出たくなる。 気候風土が札幌と似ているからかもしれない。 日ごとに冷たさを増す空気の中で、澄んだ日差しのもと、空や色鮮やかな木々がガラス細工のように見える感じや、曇りの日のグレイの空気に映える銀杏の並木道。 中欧の街、ウイーンは、ハンガリーからチェコに行く際の通過ポイントとしか考えていなくて、滞在期間も3日間しかとっておらず、着いてみるまで、それほど期待を持っていな
メキシコについて思い出す時は、たいていターコイズブルーの空の下の光景が浮かぶ。 雑多で、物と人とが溢れる市場や、鮮やかな色の壁画、装飾的な教会、月のピラミッドの遺跡。 始終、視覚を通して、脳裏をざわめかせられた国という印象がある。 けれど、今回は、その中で少し色合いの違う思い出について書こうと思う。 メキシコの北部にある街、サンクリストバルデラスカサスにやってきたのは、その周囲にある、少数民族の暮らす村々を見てみたいと思っていたからだ。 広場にいると、村々から山を越えて、虹
子どもの頃、空想癖が激しかった。 日常世界から、御伽の世界を開く扉は無限にあり、それを開くことは本当に簡単なことだった。 目の前にあるものならなんでも、例えば小石や葉っぱ、封筒の切手、お菓子や果物。 近所の小道やお気に入りの木。 ありふれたものを眺めているだけで、次から次に物語のしっぽが湧き出て そこからストーリーが膨らんだ。 その感覚は、目の前のものを通して、どこかは分からないけれど、別の世界にすっと入り込んでいくような感じで、大人になるにつれ、自然と薄まってきたのだけれ
ロサンゼルスに到着した日は、雨がしとしと降っていて、ロスに抱いていた、からっとした青空のイメージとは全然違ったけれど、しばらく、太陽の照りつける中南米を旅した後だったので、逆に気持が落ち着いた。 予約した宿は、リトルトーキョーと呼ばれる地域にあり、周りは日本語の看板がたくさんあった。 スーパーに行けば、納豆やお茶漬けのもとなど普通に売っているし、日本食レストランも並んでいる。 入ってみたら、従業員の日本語の私語が聞こえてきて、久しぶりの感覚を懐かしく思った。 宿の支配人は
旅の最後をハワイにすることだけは、最初から決めていた。 途中いろいろなことがあっても、最終的にハワイに辿り着くことを思えば頑張れるような気がした。 7ヶ月弱、およそ20か国巡った後にやって来た、初めてのハワイ。 空港に着いただけで、気持がリラックスしたことに驚いた。 外に出てみると、どこからともなく、花のような甘い匂いが漂ってきて、光と風にふんわり包みこまれる。 ほんとに、こういう場所だったんだ・・・と、ちょっと感動した。 ハワイに全く興味がなかった人でも、一度行くと、み
ユディに出会ったのは、アテネからミコノス島に向かう船の中だった。 隣に座った彼は、30代のアジアの人のようだったけれど、どこの国の人なのかは分からなかった。 デジタル一眼レフのレンズを外し、丹念にレンズの埃をとったり、磨いたりと、手入れに余念がない。 ずいぶん丁寧に手入れをしているなあと思って見ていたら、わたしのコンパクトカメラを見て、汚れ具合に驚いたようで、ついでに掃除してくれた。 それから、売店でコーヒーとクッキーを買ってきてくれて、なんとなく話を始めた。 インドネシア
元旦の朝、札幌から、実家のある旭川に向かうJRの車窓の外は、灰色の空から降り続ける雪、チャコールグレーの木立、墨絵のようにかすむ家並が延々と続き、色のない世界に来てしまったかのようだった。 モノトーンの風景を見続けている内に、思い出した感覚があった。 パリで過ごした時に感じたことだ。 パリに着いた時、それまでいたスペインの晩夏から、急に初冬の空気に変わり、空も曇っていたせいか、気持ちがワントーン沈んだ気がした。 そして、自分がバックパッカーであることが、少し嫌になってしまっ
ある国を思い浮かべる時、そこで出会った人や出来事よりも先に、その国特有のムードが浮かんでくる。 形あるものではなくて、日差しや湿度、路上に漂う匂いや、空の色などが交わりあってつくられる空気感。 同時に、頭の中に流れ出す、その土地固有の音楽。 ジャマイカでは、もちろん、レゲエ。 キングストンから、リゾート地のモンテゴベイに移っても、治安の悪さは相変わらずだった。 もらった地図を見ながら目的のビーチを探すが、そこに行くまでも、同じような美しい浜辺がたくさんある。 でも、ひとつ間
朝起きて、リビングに行くと、宿で働く夫婦の罵り合う声が聞こえる。 「お金くれないと、生活できないんだよ!ご飯食べさせないわよ!」 ジャマイカ人の旦那と、日本から嫁いだ奥さん。 小学生の娘はガムを噛み噛み、パソコンでゲームを続けている。 今日は旦那が車で、キングストンからすぐに行けるライムキーという小島にいく波止場まで、送ってくれることになっていたのだ。 ずんぐりした体に、蛍光グリーンのTシャツを着た、人は悪くなさそうだが、極めて軽い感じの男。 運転はめちゃくちゃだし、妻が
ジャマイカと聞いてなにを思い浮かべるだろうか。 レゲエ、カリブ海、ゲットー(スラム街)、ジャークチキン、マリファナ、治安の悪さ・・・ わたしが日本にいた時に連想できたのはこれくらいのもので、心惹かれるというよりは、むしろなんだか怖いなあと思っていた。 日本にも、ジャマイカの音楽、文化などにはまっている人はたくさんいて、 彼らを見ていると、ジャマイカの雰囲気はなんとなく分かるような気がしていたものの、自分にとってそれはそこまで魅力的には感じられなかった。 空港から出ると、真夏
土地の起伏が多くて、海を見下ろせる港町。 世界のあちこちにあるけれど、どこでも似たような空気感と趣を感じるのは、海を越えて渡ってくる異国の風と、それに乗ってやってくる文化のかけらのせいだろうか。 坂を登ると眼下に広がる風景に行き止まりがなく、海と空がつながりどこまでも広がっていく。 晴れた日は、その様子に心が伸びやかになり、空が曇りはじめると、その色が海にも映り、取り残されたような少し不安な気持ちになる。 大学時代暮らした小樽がそんな街だったからか、旅行で行った函館や長崎
南の国特有の強い日差しと、それが生み出す、日向と日陰のコントラストが際立つ風景に、心が惹かれる。 その中に古びた建物や、ひなびた街並があると、更に惹きつけられてしまう。 キューバは、映画や写真集で見る限り、まさにそんな風景の国だった。 いつか行ってみたいとは思っていたけれど、なんとなく手の届かない国のようにも思っていたから、到着した時はなんだか夢心地だった。 実際、来てみて、まず驚いたのは、建物のあまりの古さだ。 趣があるというのをとうに通り越して、朽ち果てかけている。