キョウフはなぜ入り身投げができないのか

京府大の一回生から、「その場で止まって投げるヤツ」と「腰をぶつけるように後方に投げるヤツ」はどう違うのか、そもそも違うのか。みたいな問いをいただいた。
たぶん呼吸投げと側方入り身投げに関する問いだと思うけど、本人も途中から何を聞いているのか分からなくなってきたみたいなので回答は保留に。

京府大の投げ技稽古と私の受けは何かと相性が悪い。こちらはそのまま進めてくれればいいように受けを取っておこうと思っているときでも、彼らの鋭敏なセンサーは微細な違和感を見逃せず、「誤答」と結論付けてしまう。
呼吸投げ・入り身投げはまさにそれが頻発するし、昨日の稽古だと隅落としもそうだった。直し様はあるけど、本人がそれを殊更に課題にしていないのなら敢えて触れなくてもいいかな、それより回数をやって合気道の身体の使い方をなじませてほしいな、というのがこちらの思惑だったりするのだけど、彼らのお稽古はすべてが「完璧」でなければ前に進めないらしい。

「できない」をたくさん見つけ出す稽古と、「できた」をできるだけ拾い集める稽古の違いなのだと思う。京府のみんなは、たぶん自分で思ってるよりも「できるようになっている」。武道なんて、この自己の内的な変化を楽しむものなのに、既定のマニュアルへの適合性だけで自分の「出来・不出来」を査定していたら自信を失くす一報じゃなかろうか。できないと思う部分を質問してくれるのは嬉しいし刺激的なんだけど、だいたい今の到達点よりもかなりハードルの高い話をしないといけなくなる。私は「やったろう」って反ってモチベーションになったけど、どうなんでしょう。

そういえば、受けの取り方についての稽古提案をいただいていました。受けを真正面から議論すると稽古に昇華するのに骨が折れるけど、「後輩が上手くなる受け」なんてテーマはどうだろう。「誤り」を漏らさず止める受けと、「誤り」を受容しつつ全体としては上達に向かう受けをみんなで見当すると面白くならないか。

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