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父から教わった、子どもと親の関係。

3月16日は、父の命日である。あっという間に亡くなった。色々なことが信じられないまま、5年がすぎた。

父は、それこそ典型的な昔の男。カップラーメンしか作られないとは言っていたし、台所には立つことはない。まだ私が小学生の頃、母がいなくて、父が珍しく皿洗いをしていた。洗剤をつけずに(笑)。洗剤なんかつけなくても綺麗になるそうだ。まぁその位、家事はほとんどしなかった。

父の好きなことの一つに、マラソンや駅伝がある。観るのも自分が走るのも好きだった。テレビで駅伝がある日は出掛けられず、母とよく喧嘩をしていた。私が小学生の頃、父は市内の駅伝大会にあるグループで参加していた。応援に行った道で、すごく速く通り過ぎたのを今でもよく覚えている。それに感化されたのか、私も小学校の頃はよく走った。小学校最後のマラソン大会は特に練習した。当日、思春期の難しい時期だったから、応援に来なくていいよと言ったはずなのに、勝手に仕事を抜けて、だれもいない田舎道に、ひとり立っていた父。4位に入賞することができた。小学校で最高順位だ。

そして、もう一つは、登山。山が好きだった。県内や近隣の山には小さい頃から登った覚えがある。そして、富士山にも登った。小学校5年生の初登山。私は9合目で高山病になって、頂上まで行けなかった。悔しい思いをした。どうしても登りたかった私は、また来年挑戦したいと言った。

登山の何週間か前、私は走ってがむしゃらに体力をつけようとしていた。そして、2回目の富士登山。父は、山が好きだから9合目から10合目の間は、ペースを合わせてくれなかった(笑)。どんどん先に行った。好きなことはとことん貫いて、周りなどどうでも良くなるのだ。

それでも、無事に登り切れた。10合目の空気は、正直気持ち悪くて、美味しいものじゃなかったけど。やたら高級品だった、おしるこの缶が、身にしみたのを今でも覚えている。

父は、今時の親のように、「子どもに何をさせよう(習わせよう)」という考えじゃなく、ただ、自分の好きなことを子どもに見せていただけだ。もしかしたらそれでいいのかもしれない。好きなことをしている親は、子どもにとっては輝いて見える。子どもは親の顔ってよく観察しているし。親が楽しそうだと、子供も安心できる。

結局、もうマラソンも登山もやっていない。けれどあの時、めげずに走っていたこと、頑張って山を登ったこと、やり遂げることの大切さは、ふとこのタイミングで思い出す。

前だけ向いて、ただひたすら頑張っていた、あの頃の気持ちを。

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