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『なぜ超一流アスリートはジョーダンの真似をしないのか?』大谷翔平とマイケル・ジョーダンとタイガー・ウッズ

俺らの大谷翔平と、スポーツブランドのNew Balanceが発表したパーソナルロゴ(大谷翔平シグネチャーロゴ)について、どうなんだ?と考察欲が止まらないので吐き出してみたいと思います。


前提の整理

まず大前提として「大谷翔平だから何したって(どんなロゴ作ったって)どっちにしろ大谷翔平」という意味不明なことを言いたいと思いますが、つまり何したって注目は集められると思うので、「(純粋に)ブランディングが成功しているのか」を検証するのは結構難しいと思う、ということです。

大谷翔平が人気すぎてクリエイティブの是非は効果測定しづらいと思いますので、それ即ち制作側の質を逆に鈍らせてしまうのかもしれません。想像ですけど。


大谷翔平は「ジョーダン型」

大谷翔平のパーソナルロゴを考察するために、比較対象として「マイケル・ジョーダン」と「タイガー・ウッズ」を机の上に置いてみようと思います。

仮にアスリートのブランディングを「ジョーダン型」と「タイガー型」に分類した場合、大谷翔平は「ジョーダン型」に属します。

Jordanといえば説明するまでもなく、アスリートを用いたブランディングとして「世界で一番成功した例」と言っても過言ではないと思います。NIKEがマイケル・ジョーダンを使って(タッグを組んで)作った「Jordan」は、今ではNIKEと同じスケールで認知されています。

今回の大谷翔平の例もマイケル・ジョーダンよろしく、New Balanceというスポーツブランドと大谷翔平というアスリートがタッグを組んで、ブランド記号とは別の記号を制作し、パーソナルブランドとして走らせた形になります。その点で「ジョーダン型」と言えます。

In that run, every soul delights. The Shohei Ohtani Signature Logo.
その走りに、すべての命が喜んでいる。大谷翔平シグネチャーロゴ。

NB Instagramより

上に引用したのはリリース時のNBのステートメントですが、ロゴのビジュアルとステートメントから見てもわかるように、大谷翔平ブランドは「走っている姿」をシンボルにしていることがわかります。

大谷翔平といえば二刀流、つまり「バッティングもピッチングも両方行う」というところにひとつの特異性があります。つまりブランドを走らせるために「他と違うところ(強み)」を表現することが基本であると定義するならば、大谷翔平(というブランド)の最たる強みは「投げるし打つし」という部分に当たります。同じ野球選手は世界で1人もいませんので、それを使わない手はない。

しかし、ロゴの制作チームは悩みました。

『2つあるの、むずい。』

想像です

ジョーダンが「ダンク(ジャンプ)の姿」をシンボルにしたように、大谷翔平も「姿」を記号化したいと考えた時に、「投げている姿」と「打っている姿」をひとつのロゴにまとめるのは非常に難しいと言えると思います。

その結果、NBは「走っている姿こそが大谷翔平のシンボルではないか!」と解釈をした。投げるし、打つし、盗塁もするじゃん!その走っている姿(ひたむきに頑張る姿の比喩)こそが大谷翔平じゃん!です。

もしかしたらこれから先に「投げている姿」と「打っている姿」をシンボルにしたロゴを作ることを計画していて、最初に「走っている姿」をブランド化したのかもしれませんが、そうだとしても乱雑になるので上手いとはいえません

さて、ここで一つ考えたいことがあります。


多くのアスリートやブランドがジョーダンの大成功例を真似しないのはなぜか?

先述したように、アスリートのパーソナルブランドを語るにあたって「Jordan」ほど成功した例はありません。

それなのに、なぜ多くの超一流アスリートやメガブランドが真似をしないのか、あるいは(真似をした例もあったかもしれませんが)「Jordan」ほどの成功を収めていないのか、を考えてみます。

「ロゴ(記号)のビジュアル」という観点からその理由を考えるとすると、それは「どんな超一流アスリートもほとんどの場合(ジョーダンのように)"姿"を象徴にするのは難しいから」というのが、その理由として挙げられます。

マイケル・ジョーダンがあのロゴに姿を変えたのには必然性があります。ジャンプした姿が特徴的で、"それ(ジャンプ)こそが"マイケル・ジョーダンを説明するには最も適した記号だったから、あのビジュアルになったのです。

そのように考えると、大谷翔平ブランドの失敗している部分をあえて表面化するなら、その原因は「走っている姿」をデザインしたことにあるのではなく、"姿"をロゴにするという「Jordan」の戦略を模倣したことそれ自体に誤りがあった、と言えるのではないでしょうか。

なぜなら、いくら大谷翔平だって「走っている姿」が象徴になりうるほどそのシルエットに特徴があるわけではないからです。まあ確かに「これ大谷翔平です」と言われたらそうですよねとわかりますが、補足が必要なロゴになってしまっています。

大谷翔平に限らず、どんな超一流アスリートにとっても「Jordan」を模倣することがほぼ不可能に近いのは、それが理由の一つだと思います。もちろんJordanの成功には、他にも多くの要因と変数があることでしょうから一概に語るのは難しいですが、ロゴのビジュアルに関してはJordanの右に出るものはいないでしょう。


大谷翔平のロゴには「ブランド名」がない

もちろん、このNBの動きの狙いを私は知る由もありませんから、そもそもここで言っていることが的外れな可能性もありますが、もう一点「Jordanを模倣してはいけない理由」があるとすると、NIKEとマイケル・ジョーダンが作ったパーソナルブランド(≒ロゴ)には、「JORDAN(BRAND)」という名前がついていることです。

これはつまり「独立したブランドにする」という計画が込められていた(次第に計画していった)ことを暗に示唆します。その通り、現在ではNIKEから「Jordan」は独立し、事実上「(NIKEから派生した)違うブランド」として走っています。

しかし大谷翔平とNBの動きを見てみると、そのロゴには固有のブランド名がついていません。「The Shohei Ohtani Signature Logo(大谷翔平シグネチャーロゴ)」としかついてませんので、つまり、このロゴが「独立したブランド」として振る舞うということは難しいことを意味しています。

いやいやそんなことせんから、とNBに言われてしまえばそれまでなのですが、であるならば、もしかしたらJordanのように"姿"を記号化するという戦略を模倣してはいけなかったかもしれないのです。

では、実際どういう代替案があるのか?については、後ほど「自分がディレクションするなら」と想像して書いてみようと思います。


アスリートにおける「タイガー型」のパーソナルブランディング

今年の2月に、タイガー・ウッズが「Sun Day Red」というブランドの立ち上げを発表しました。

We’re not merely a new clothing label or shoe brand. Anyone can do that. But @tigerwoods is not just anyone. And neither are we.

Sun Day Red Instagramより

と主張しているように、これは「単なる洋服や靴のブランド」ではなさそうです。

大谷翔平やマイケル・ジョーダンの例と、このタイガー・ウッズの事例はタイプが異なります。同じく「アスリートのパーソナルブランド」ではありますが、前者が「ブランドが主体」なのに対して、後者は「アスリートが主体」です。つまり前者は「NIKE(ブランド)が、広告塔であるマイケル・ジョーダン(アスリート)を使ってブランドを産んだ」と言えますが、後者は「タイガー・ウッズ(アスリート)が、自分を広告塔にしてSun Day Red(ブランド)を産んだ」と言えます。矢印の方向が違うのです

既存のブランド(NIKE)がブランドをつくるのと、アスリートが自分のブランドを立ち上げるのはそもそも根本的に違うではないか、というツッコミが飛んできそうですが、これは違うように見えて期待している狙いと効果は「一緒」です。つまりアスリートを「記号化」し、「ブランド」として世に放つことで、主体とブランド2つの関係性を作ることを期待し、周りまわって両者(NIKEとジョーダン、NBと大谷翔平、Sun Day Redとタイガー・ウッズ)両方にメリットをもたらす、という狙いです。


Sun Day Redのロゴ

Sun Day Red 公式X

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