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芸術としてのサッカー論

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サッカーを"非"科学的視点から思考する
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2019年3月の記事一覧

人間の脳には『“思考態度”のエラー』と『“思考回路”のエラー』が存在する

スポーツ競技とは「争」うことであり、事前に定められたルールに基づいて、どちらが多くの得点を奪うか、どちらがより美しいか、どちらが先に目的を達成するか、などの「優劣」をつける行為であることは間違いないが、では、「“競う”ことで争う」行為と「“闘う”ことで争う」行為、この両者に違いはあるのだろうか。 ▼前回の記事(Vol.1) 前回の記事では「サッカーとは何か?」を把握するために、存在するスポーツ競技を単純化することで「6つ」の競技に分類し、その分類方法を『Competiti

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【総論】 なぜ私たちは闘う必要があるのか?:Competition and Struggle Theory(競争闘争理論)

——— ある何らかの事柄を分析する際、私はよく、その事柄自体を抽象化し、他の類似する事柄と対比させることで、それによって生まれる相違や類似、または一致を元に思考を重ねていきます。私にとってそのような思考法は、これまでの人生において無意識的に行なっていたものでしたが(それに気付くのにも随分と時間がかかりました)、こと「サッカー」という、人生における最も重要な事柄においては、ある種、意識的に行う必要があるのではないかと、そのように思っております。 まして、私は「サッカー」という

なぜ彼らは異常なまでに「見た目」に気を配るのか——。“弱い”と“ダサい”は比例する

人は本を表紙で判断する。最高の製品、最高の品質、非常に有益なソフトウェアなどを備えていたとしても、見せ方がいい加減であれば、いい加減なものにしか見えない。創造的で洗練された見せ方をすれば、望ましい特性を持たせることが出来る——。  ▼Vol.3 * 冒頭の文章は「本の売り方」について書かれた書籍から引用したものではなく、ニュージーランド代表ラグビー集団「オールブラックス」について書かれた著『問いかけ続ける』から引用した文章である。この本には『世界最強のオールブラックスが

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これまでの発言、そしてこれからの発言は、全てこの3937文字に通ずる。

時々私は、自分は動物園にいる動物だったのではないだろうかと思う時がある。特に外国に住み始めてからというもの、この人たちが野生の動物であるならば、日本人は“動物園にいる動物”なのかもしれないと、確かにそう思う。もしくは、野生の動物に近い環境で飼育されている動物だろうか。 それが良いか悪いかは一度置いておいて欲しい。全く正解を言える自信がないし、その必要もないように思う。 ただ、日本人は、いつからこんなにも人間離れしていってしまったのだろうかと、最近そう思わずには居られないの