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なぜ不登校になったのか?を考える

このタイトルについて、まずは言い訳をさせてください。
はっきり言って、わかりません。
ただ言えることは、一つではなくいろんな複合的な要因が複雑に絡み合ってこうなっていること。

親、学校、環境、息子の特性…

親自身
自身の親から受け継いできたもの。自分はこうやってきたというもの。すりこみ。
多分我慢してやってきたから、本来は嫌だったから、それをやらない息子に腹が立つ。
自分は我慢してるのに…

例えば学校や勉強。思い起こせば学校は楽しかった思い出もあるけど、行きたくないと思っていたと思う。熱が出た日は喜んでたのを思い出す。

大人になっても一緒?仕事だってお金のため、或いは家族のためのところが大きいところもある。嫌だけどやってる部分がある。

自分は我慢してる、してきたのに、なぜあなたはやらないの?できないの?

そして、できないやらない息子にネチネチ文句。

これが、多分子どもの自己肯定力を下げ続け、そんな中でも頑張り続け、エネルギーを奪っていた。

親が自分の親から受け継いできたすりこみ。

これが一番面倒くさい。そしてしつこく自分につきまとう。
これを変えることが子供が変わる最短ルートと思う。


そんな「べきねば」や固定観念から一度目線を外して改めて見てみると、世界は変わって見えてくる。

その一例が学校。

学校
例えるなら軍隊。

右向け右!みんな揃えろ!ついてこれないやつは置いていく!
とにかく頑張れ!頑張った先に素晴らしいものが待ってるぞ!
教官の言うことに逆らうな!規則に従え!
規則は規則!つべこべいうな!

子どもの不登校をきっかけに、何度か付き添い登校で見た授業風景。

よくこんな環境で子ども達は平気だなと感じた。
自分が子供の頃、本当にこの環境て過ごしていたんだろうか?
自己肯定力を痛めつける声がけ、先生のイライラが言葉と表情に乗り、それが無防備な子どもに投げかけられる。

そして子どもたちの目は死んでいく。

多分学校や先生にによって全然違うのだとは思う。
でもうちの学校は少なくとも1年生と2年生の先生はどちらも同じだった。

学校の授業を見てよかった。
こんな学校、むしろ息子に行かせたくない。
行き続けなくて良かった。

企業では多様性という言葉が浸透し、多様な人が多様な形で活躍できる環境整備が進む。
そしてそのための働き方改革。

人を育てる入口であるべき学校。
数十年前からずっと止まったまま。働き方も無茶苦茶で、そのしわ寄せが先生に、そして子どもたちに。
真逆いってないか?これで良いのか?

少なくとも息子の今の学校は変えてあげたいと思う。
ちゃんと変わろうとしている学校に。
息子の居場所にふさわしい学校に。

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