「楽しむ」が勝ち、「楽しい」は正義。
ここ何年かで自分が一番大事にしている言葉がこれである。
清濁併せ呑むことも時には起こるかもしれないけども、出来うる限りこの状態を増やしたいというのが自分のスタンスである。
※サイボウズ青野社長の『チームのことだけ、考えた。』のサイン本にも同じことが書いてありました。
この考え方、もう少し早く気づいておく必要があったな、それがあればまた違った道があったのかもしれないと自戒の念がある。
何故かというと、10代後半から20歳代の自分はとにかく訳もなく尖っていたから。
今日は自分の好きなバンドの曲をいくつか照会して語っていきたいと思うのだが、
上記の尖っていた自分を聞いて思い出すのがこの曲の2番冒頭の歌詞だ。
30代初頭に結婚、子どもの誕生を経験している身なので、最後の行まで「ああ、これ俺じゃん」と共感してしまうのだけれども、今回のポイントとしては10代と20代のところである。
10代後半から「自分を認めてくれないのは世の中が悪いから」というある意味、厨二病とでも言えば良いような考え方に陥ってしまっていた。
まさに、「憎しみと愛入り混じった目で世間を罵っていた」という状況だった。
とはいえ、なんの実績も積み上げもない状態でそんなことをしていたら味方が増えるはずもなく、
「誰も本当の俺の凄さをわかっちゃいねえんだよ!」
とちょっと書いてて恥ずかしくなるくらいのことを考えていた。
(そこから20代の悲しみへと続いていく訳です・・)
ここで何を反省点にしているのかというと、
「もっと楽しめた部分があったのではないか」
ということだ。
10代後半から20代ははっきり言って人生のピークと言える。
気力、体力が充実しているし、時間もある。
そんな最高に輝かしいとも言える時期に、「楽しむ」とことより「憎しみ」のようなものが前に出てしまったことが今思うと残念でならないなというのが正直な気持ちである。
もちろんそれもまた若さゆえのエネルギーの発露と言えるものかもしれないが、
憎しみが生み出す憐れみくらいでしかなく、ポジティブな化学反応が生まれることは少ない。つまり、停滞してしまうのだ。
「楽しむ」ことで大きいなと思ったことが、自分に対するメリットだけでなく、他人の影響も大きいことだ。
「楽しい」は伝播する。
「これ、楽しいよ」という姿を見たら自分もそうなりたいなと思えるようになる。
社会人になりたて以降の停滞は、
この「楽しそうな大人」を会社組織の中で見つけられなかったこともあるのかもしれない。
そこから
「何これ? 売り上げ達成しないと死ぬの? 人間として認められないの?」
という負のスパイラルを考え出すようになってしまった。
今思うと売り上げも重要な要素ではあるのだが、
「じゃあその売り上げを達成することを楽しめるか?」
というのがまず最初に考えるべきことだったと思う。
そしてそこに対する自分の中でのYesがなければやらないほうがいいという選択肢を持たずに、自分を無理に追い込んでしまったというのが大きな反省点だ。
そこで自分の中で「楽しめる」要素を見つけられれば、それを極めていけば良い。
そうでなければまた違う道で「楽しめる」ものを見つければいい。
20代前半の自分に伝えかったのはそれである。
だから、もう一度繰り返しになるけれども、やはり
「楽しめるが勝ち」そして「楽しいは正義」
なんだと。
最後に、もう一つ自分が大好きなバンドの曲の歌詞で今日のテーマとドストライクなものがあるので紹介します。
ということで、年末の忙しい時期に最後まで読んでいただいて本当に感謝です!!
自分の言葉を見てもらうことに、1分1秒でも貴重な時間をいただけたことに御礼申し上げます。
2023年も残り少ないですが、