たねつみの歌
来月、アニプレックスエグゼより発売される「たねつみの歌」。企画シナリオとして参加した作品で、我輩にとって初の商業作品となる。
発売まで忙しく、発売してからも忙しそうなので、ここらで触れておかないと何もしないまま発売し、発売してもなにもせず、そのまま時間がたって次の事に話題が移りそうだ。なので久しぶりに時間が出来た今日、触れておく。
たねつみの気風
たねつみでは死と出会い、死と旅をし、最後には死を受け入れる冒険を描きたかった。言うなれば、人が一生を通して死と関わっていく過程を、一つの冒険として象徴的に描いた。我輩がもつ、死への興味や畏怖、憧れが動機となった冒険活劇である。
死と戦わず死と語らい、死と親しんでいく。そんな気風を宿す物語を目指した。叶っていれば幸いだ。
死への興味
我輩の中にある死へ興味について少し触れたい。
幼い頃より死という感触に惹かれてきた。死は恐ろしいからこそ、何よりも我輩の興味をひいた。文化によって去勢される以前の、本能的な死への好奇心が強かったのだと思う。
死んだらどうなるのか、どうやって死んでいけばいいのか、いなくなる瞬間はどんな感じがするだろうか。
幼い頃より死について膨大な妄想を繰り返してきた。それはハルカの国を執筆している今でも変わらない。たねつみもまた、我輩の人生で煮詰まってきた死への思いから発した物語である。
旅と死
たねつみのアクションは冒険、旅である。
旅に出ることと死ぬことは似ていると思う。どちらも己の濃度を薄くする行為だと感じるのだ。
住み慣れぬ土地へ、まだ己の匂いのしない場所へ、これまで自分がいなかった場所へ踏み込んでいく時に感じる、存在が希薄になっていく心もとなさ。同時に清々しさ。
死というものを〝今、ここ、私〟として高密度に集合している状態の解散だと考えれば、死は旅の極まりとも言えよう。
我輩はこの存在が希薄になる清々しさに憧れ、旅立つことに焦がれてきた。死という旅先は、いつかこの体臭にまみれの生活空間から抜け出す契機であり、それは恐ろしくも窒息感を和らげる清涼な慰めであった。
いつか死ななければ耐えられない人生というものがあろう。それは単に悲惨で苦しい人生を言うのではない。どんなに楽しみや愛情にあふれた一生でも、いつか去る、という自覚がなければ、しめ切られた生活にいつしか腐臭かただよい耐えられなくなる。少なくとも、そういう人種はいる。永続を嫌い、旅立つ契機を明日の方向に定めてしか息も出来ない人種というものはいるのだ。
そういう人種にとって、いつかこの世界を去るという悲しさが、世界の美しさを発見する原動力にもなっている。
旅と死は、存在を清々しくするという点で親和性がある。それがたねつみのアクションに冒険を選んだ理由だ。
単に我輩が旅や冒険を好むからでもあるのだが、何故好むかと分析してみると、上記のような理屈が成り立つのだ。
過去作と今作、テーマの新旧
たねつみには2050年の未来が登場する。しかしながら、物語のテーマは古い。いつか死ぬという事実と、どう向き合っていけばいいか。いなくなる、とはどういうことか。そこらがテーマとなっている。
かわってハルカは過去の話であるが、テーマは新しい。役目がなくなった後もいなくなれないなら、どうしたらいいのか。夢や希望や、仕事や役目がなくなった後も、消えていなくなるわけじゃない。身体が残り、心が残る。いらなくなった後に、居残っている私をどうしたらいいのか。役目という社会的存在と、身体や心という生命的存在の、消滅のズレ、ギャップ。社会性と生命の狭間に取り残された、まだ残っているものに焦点をあてている。
たねつみは役目の消滅と存在の消滅が近く、ギャップに苦しむことはない。役目と存在は同義である。
ハルカは近代化していくなかで、時代遅れとなり、役目を失いながらも残っている神(人)を描く。
たねつみは死とつきあってきた人間感情の歴史であり、ハルカはこれからの人間が直面していく問を描く。
人間はいつまで意味があるのだろうか。意味がなくなったとき、人間はどうするだろう。
科学や夢や創造というものは、人間を振り切り走り去っていくだろう。人間を振り落として裸馬となったそれは、我々を振り返ってはくれない。残された我々は、騎手としての役割を失った後、残った自分たちをどう物語るのだろうか。
いなくなってきたこれまでの物語と、いなくなれないこれからの物語。そういう対比も出来るかと思う。
KAZUKIの感性
たねつみでは遠くへ行こうとしてみたが、たいして遠くへ行けなかった。
いつもとは違う枠組み、他者との協力をへて生まれた物語なのだけれど、着地点はいつもの我輩作品とそう遠くなかった。この結果に、己の才能の限界を見た。我輩の創作における輪郭というものが、たねつみによって浮き上がったように感じた。
上記でならべたような事が軸足となって、我輩の創作半径を定めるらしい。
広がりは限界をむかえたが、物語の深化はまだ残っていると思いたい。より自分の感性と真摯にむきあい、解像度を高めていこうと思う。軸足の囚われた地点については諦める。
たねつみが終われば国シリーズに帰りたい。
みすずのリメイクを完成させ、ハルカとユキカゼの物語に身も心も戻っていきたい。
また一人になって、自分と、自分の中にある他者と向き合う時間に没頭しようと思う。
たねつみの歌、発売の際にはどうぞよろしくお願いいたします。
売れ行きには責任を感じているので、良い数字がでれば嬉しい。無名の我輩を採用してくれ、我輩のわがままに付き合ってくれたプロデューサーへの義理もたつ。
作るからには面白いものを皆様に届ける、と気合をいれて作りもした。
12月13日、2750円。重ねてどうぞよろしく。
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