【主体性を育む】「学校どう?」という質問をイヤがる子どもたちの心理
こんにちは!
ここのところ寝起きに体がカチコチになることが多く、
「これはついにヨガだ!」と思い立ち、
朝に10分ヨガをするようになりました。(突飛)
なので最近の趣味は、カチコチのヨガです。
ウーウー唸りながらやってます。
さて、今回は
「学校どう?」と聞かれるのが嫌な子どもの心理から
大人が潜在的に持っている価値観への向き合い方について
みたいなトピックで書いてみたいと思います。(だいぶ突飛)
「学校どう?」と聞かれるのがイヤな子どもたち
以前、
「学校どう?」と聞かれるのが嫌いな子がいる。
という話を聞きました。
「え、なんで?」と一瞬考えると同時になんとなく理由がわかってしまい、
ゾッとしたのを覚えています。
子どもたちは「学校どう?」と聞かれたら
「うん、別に普通」とか「普通に楽しいよ」とか答えることが多いのではないでしょうか?
2012年夏にNHKが実施した「第5回の中学生・高校生の生活と意識調査」では以下のような結果が出ています。
この数字からも見て取れるように、大多数の子どもがどちらかというと「楽しい」と感じているようです。
ではなぜ、「学校はどう?」と聞かれるのが嫌なのでしょうか?
その理由は様々ですが、以下のような理由が主に挙げられます。
・質問が曖昧で広域(色々ありすぎて何を話していいかわからない)
・その中で聞き手(親や親戚)が喜びそうな話題を出すのが面倒
・そもそも楽しいことが毎回あるわけではない
・一言ではいえない複雑な感情がある
これらの理由から、「学校はどう?」と聞かれるのが嫌になってしまうんだそうです。
この理由をみると、先ほどの「学校は楽しいか?」というアンケート調査も、子どもたちの中では複雑な感情がありつつ、「どちらかといえば楽しいと言える」や「楽しいと答えるのが無難」という理由で回答している可能性もありそうです。
「楽しかった話をしなければいけない」と考える心理
聞き手としては「学校の様子を聞きたいだけなのに」「良いことも悪いことも話してほしい」というのが本音だと思いますが、、、
子どもはなぜ大人に忖度をして「楽しかった話だけをしなければいけない」と考えるようになるのでしょうか。
子どもは敏感に大人の表情や態度から感情を読み取っています。
そのため、日頃から「嫌なことがあった話」をした時の大人の感情を読み取っているのではないでしょうか?
自分が話すことで大人が
・怒る(喧嘩した子どもやその相手、問題のある学校などに)
・叱る(子どもの行動や思考を)
・正そうとする(子どもの行動や思考を)
・悲しむ
・しんみりする
などの姿勢を見せることが、子どもにとってもストレスになると予想されます。
子どもたちには子どもたちの社会がある
もう少し彼らの心理を考えてみたいと思います。
彼らが話す内容は学校での出来事のほんの上澄でしかありません。
様々な要素が介在する友達や先生との複雑な人間関係の中で、
偶発的に生まれた事象を
習熟途中の言語力を駆使しながらなんとか話しているというのが実際のところではないでしょうか?
そんな複雑な問題を説明することは非常に「面倒」ですし、
その解決策は思ったより簡単ではありません。
さらに子どもたちはその問題に自分たちで向き合いたいと考えているのではないかと考えています。
彼らには彼らの社会があり、そこの秩序を自分たちで作っていきたいのです。
上澄しか説明されてない状態でそんな彼らの日常に介入しようとするのはなかなか難しいのではないでしょうか?
だからこそ彼らの話に対して、一喜一憂したり正したりお説教したりするのではなく、穏やかに子どもたちの話に耳を傾けることが重要だと考えます。
すぐに解決する必要はなく、ただ話を聞いてあげる、少し質問してあげる、そうすることで子どもたちは自分で考えて問題を解決しようとするのではないかと思います。
これはなにも、放任すべきと言っているわけではありません。
むしろ、子どもたちで手に負えなくなった大きな問題を、彼らが自ら話してくれるような環境を作ることが重要だと思っています。
様々なことが起きる彼らの日常で、大人と話せる場が精神的に安心安全であると感じられるように、どんな話を聞いてもどーーんと構えていられる大人がいることはとても意味があると思います。
そんな場所を作っていけると良いですよね。
「イヤなことがあった」話をニュートラルに聞くには? 〜自身の価値観と向き合う〜
では「イヤなことがあった」という話を子どもができる環境を作るには、
なんのジャッジもせず、ニュートラルに彼らの話を聞くにはどうすれば良いのでしょう?
具体的なスキルの話は今回はおいておき、
根本的なお話を書いてみたいと思います。
そもそもこの課題の根底には様々な理由が複合的に関わっている気がします。
一長一短の解決方法があるわけではなく
大人や子どもによって(つまり個人個人で)原因や解決方法が異なります。
その中であえて、根本的な課題をあげるとすれば
・子どもと自分を重ねている(自己投影)
・過干渉(過保護)
・正義感
・他者との比較
・社会通念や常識の過剰信仰
などが挙げられるでしょうか。
上記のように列挙すると大きな問題があるように感じるかもしれませんが、
多かれ少なかれ、大人と子どもの関係には上記のような状態が存在しています。程度の問題に過ぎませんし、全てを無くすことはできません。(無くすことが良いこととも思いません。)
しかし、これら(もしくはこれら以外にも)様々な理由から、
子どもの話をニュートラルに聞くことができない(しない)のであれば、
そしてその状況を変えたいと考えているのであれば、
新しい心情や価値観をインストールする必要があるかもしれません。
そしてそのためには、根本的に自分の心情(信条)がどこからきているのかを考えなければいけません。
潜在化された個人の価値観や意識を変えることは簡単なことではありません。
カルフォルニアにあるCSUEB(California State University, East Bey)を訪れた際にSELを研究されている教授に個人の価値観を変えるためにはどうすればいいかを聞いたことがあります。
その方が仰るには、
「まず、自分の価値観や考え方を知る必要がある。
そのために、自分がどのような教育を受けてきたと思うか、どのような価値観が自分の生まれ育った環境にはあるのかを洗い出す必要がある。
これによって自分の潜在意識にある価値観を顕在化させなければいけない。
その上で他者との違いを知り、自身で新しい価値観を選ばせる必要がある。」
とのことでした。
これでもかなり噛み砕き、抽象的にわかりやすく説明してくださったのだと思います。
自分が育った環境とは、国や地域かもしれません、家庭環境や学校環境かもしれません、自分が生まれ育った環境ではどのような価値観が存在していたかを認知し、自分がその中でどのような価値観を育んでいったのか可能な限り紙に書き出してみましょう。
これができれば、あとは自分が何を選ぶかという話になります。
まずは自分が無意識/意識的に持っている自分の価値観に気づくところから始めてみてはいかがでしょうか?
(これがやってみるとなかなか難しいんですが、、)
自分の育ってきた環境の価値観を知ること、
これが大きな最初の一歩になると思います。
そしてその価値観は普遍の真理ではなく、特定の社会において形成されたものだと理解することです。
その価値観が絶対のものではないと自身が納得することができれば、
違った価値観で子どもと接することができます。
もし誰かロールモデルにしたい方がいるのであれば、
その方の育ってきた環境の価値観を聞いてみると良いかもしれません。
インストールしたい価値観の話を聞き、実例としてインプットできれば
自分が大事にしたい価値観を選ぶことができます。
それを普段から意識することで、
行動が少しずつ(少しずつですよ!)変わっていくのではないでしょうか?
まとめ
さて、今回は
「学校どう?」と聞かれるのが嫌な子どもの心理から大人が潜在的に持っている価値観への向き合い方について
みたいなトピックで書かせていただきました。
少し(というかかなり)話の展開が突飛になってしまった気がします。反省
しかし、根本的な課題に向き合うとなるとこのようなところからスタートしても良いのではないかと考え、書いてみました。
参考にしていただけると幸いです。
かくいう僕は、
自身の価値観を知ることの重要性を知ってから、意識的に自分の生い立ちや育った環境を人に話すようにしてきました。
こうすることで、育った環境を体系的に理解する役に立ちますし、相手のリアクションから自分が育った環境を客観的にみることができます。
さらに相手の環境も聞くことにつながるので、比較もしやすい気がします。
こんなことを繰り返していると、同じ日本、東京、地区に住んでいたとしても全然違う環境で育ってきたんだな、、と改めて考えさせられます。
もしよければ皆さんも試してみてください。
また、今回の記事についても
ご感想やご評価、皆さんのご経験などを伺えると大変ありがたいです!!
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