教育とは、何のためにあるのか?
教育は、20年後、30年後の
想像もつかない未来を生きる子どもたちのためにある
これは私が教員を続けられなくなり
休職していた時に教育講演会で聞いた言葉です。
さて
教員の仕事で
一番多く時間と労力を費やすのは
何か?
決められた時間数で
決められた学習内容をこなすこと
その中でできるだけみんなが成績で
A判定(よくできる)がとれるようにすること
それじゃないでしょうか。
(小学校しか経験がないので、それを元に書いています)
それにプラスして
行事への取組やクラス運営もあるし
年度当初の目標設定としても
一人一人の良さを伸ばし
全員が活躍するクラスを目指す
などと書いていた
けれど
やはり
毎日授業をこなし
成績をつけるの繰り返し
それ以外に手をまわす余裕がなかった。
もちろん、学習の中でも
一人一人の良さを伸ばすことはできるけど
テストをする期日が迫ってる
通知表を書き終える期日が迫ってる
一人一人に丁寧に向き合ってる暇なんてない
それが現実だった。
(その現実を今まさに体験している先生を思うと
胸が詰まる思いだ。)
そんな毎日に
心が追いつかなくて疲弊して
休職した時に聞いたのが
あの言葉。
教育は、20年後、30年後の
想像もつかない未来を生きる子どもたちのためにある
雷が落とされた感覚だった。
教育の目的
何のために教育をしているのか
本当に、そうだ。
20年後、30年後を
子どもたちが幸せに生きていくために
必要なことの提供が教育であり
それができるのが学校の役割でなくてはならない。
私は
目の前にいる子どもたちに何が必要か
ではなくて
文科省から出ているから
教科書があるから
カリキュラムがあるから
評価基準があるから
と
既成の枠の中に
目の前の子どもたちを当てはめようとしていた。
20年後、30年後の未来のことなんて
考えてなかった。
そもそも
自分自身が
未知な時代を生き抜く力をもっていなかったし
それが何なのかすらわかっていなかった。
「生きる力」
とは多用していたものの
その本当の意味なんて
これっぽっちもわかっていなかった。
その結果が
自分が追い詰められ
学校に行けなくなったこと。
生き抜く力は私にはなかった。
レジリエンス力とも言われるけど
「困難をしなやかに乗り越え回復する力(精神的回復力)」
そういう力もないし
言われたことはできるけど
強い意志があって何かをやり遂げることもなかったし
自信がないし遠慮がちで
思っても発言しない
みんなに合わせていた方が楽、なんて思っていた。
そんな私が
教育者だったなんて
恥ずかしくてたまらない。
親としても人としても
成長しなきゃいけない
と思ったし
成長したい
強くなりたい
生き抜いていける人になりたい
ようやくここで
自分の力で生きていこうと思えたんだと思う。
当時36歳。
人はいつからだってやり直せる。
自分が本気でやってみたからこそ
語れることがたくさんできた。
理想論じゃなく
建前じゃなく
リアルな実体験こそが
誰かに響いていく。
子どもたちにも
そういうことを伝えていきたいから
そのためにも
私がちゃんと生きる体験をしていかなくちゃ。
大人が「生きる力」をちゃんと育もう!
他の誰でもない
「自分だからこそ」をしっかり握って
自分らしく強くたくましく
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